私が酒を飲んでいるとしよう。私がどのように思って飲んでいるかに関係なく、いまあなたは、私のことを「酒を飲む人」として思い起こすはずだ。
もうちょっと例をあげてみよう。たとえば、「私は立ち飲みの居酒屋でビールを飲みながらもつ煮を食べている」と書いてみる。すると、あなたは私のことをどのような人間としてイメージするだろうか。たとえば、冬の小汚い居酒屋で、多少くたびれたコートを羽織り、もつ煮の温かさにありがたみを感じながら、ビールの喉越しにため息をつく、そんな仕事帰りの男を思い浮かべるかもしれない。あるいは、木製のテーブルを暖色の照明が照らしている、おしゃれな雰囲気のバルで、洋風なもつ煮を口にしながら、ゴブレットに注がれたビールを優雅にあおる、そんな優男の姿が浮かんでいるかもしれない。いずれにせよ、あなたは「私は立ち飲みの居酒屋でビールを飲みながらもつ煮を食べている」という言葉を、あなたの頭の中にある印象や記憶を用いて、さまざまに言葉や映像的イメージとして思い浮かべたはずだ。
さて、記号論の2人の父であるソシュールとパースは、それぞれのやり方で記号・表象・伝達のシステムを分析した。

ソシュールは、事象をシニフィエとシニフィアンに分解した。シニフィエは記号内容、シニフィアンは記号表現とそれぞれ言い換えられる。たとえば、ある人が目の前の人に対して「リンゴ」と発したとする。このとき、発話者が思い浮かべている「リンゴ」がシニフィエ、発せられた「リンゴ」という音がシニフィアンである。発話者が「リンゴ」のシニフィエを「リンゴ」のシニフィアンに変換する作業を符号化という。一方、「リンゴ」のシニフィエを受け取った側は、その音をまず日本語と解釈し、日本語というコード(解釈に必要な知識の体系のこと)に基づいて再符号化を行う。その結果、各々のイメージする「リンゴ」のシニフィアンを想起するのである。
先の「酒を飲む人」の例についても分解してみよう。私の「行動としての飲酒」がシニフィエであり、私はそれを日本語というコードに基づいて「私は立ち飲みの居酒屋でビールを飲みながらもつ煮を食べている」という文言、すなわちシニフィアンに符号化した。このシニフィアンをあなたは日本語というコードに基づくものとして再符号化し、私の「行動としての飲酒」を思い浮かべたのである。

一方、パースは対象・記号・解釈項の3つの関係を用いて分析をしている。私たちは「リンゴ」というもの、すなわち対象を見たときに、それが「リンゴ」であるということと、「赤い」「果実」などといった要素を想起する。このとき、前者を記号、後者を解釈項という。そして、「リンゴ」という記号は同時にそれ自身が解釈項となって、「甘い」「青森」といった別の発展的な記号を想起させるのである。「酒を飲む人」の例をこれにあてはめてみよう。私の「行動としての飲酒」という対象を、自らの頭の中にある解釈項としての言語・語彙に基づいて、「私は立ち飲みの居酒屋でビールを飲みながらもつ煮を食べている」という文言——記号として理解する。この記号を発すると、私・あなたはさらにさまざまな観念——発展した記号を想起することになる。この発展した記号は、各々の経験に拠るものであるから、「仕事帰りの男」や「優雅な優男」といったさまざまなイメージが想起されるのである。
もう少し言葉を足しておこう。ソシュール流にいうならば、記号はシニフィアン/シニフィエという2つの関係性の側面から成り立っている。意味するもの/意味されるもの、というやつで、記号表現/記号内容だとか能記/所記だとかいった風にも呼ばれている。そして、この記号表現と記号内容とはコードを通して関連付けられる。本来関係ないはずの文字・音と概念を結び付けられるのは、我々が言語という体系を共有しているからだ。こうして伝達が行われる。この「伝達」が記号現象の1つの側面である。
それから、パース流にいうならば、我々は対象を記号を通じて認識する。このときそれを解釈項によって解釈し、さらに等置もしくは発展した記号を想起させる。こうして解釈が行われ、意味が膨らんでゆく。これにはコードだけでなく、個人的な経験なども含まれる。この個人的な、また集団で共有される意味を想起してゆく作用が、記号現象のもう1つの側面である。
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