8月30日、敬愛大学にて里見氏研究会第32回例会が開催された。報告者は田中宏志氏で、論題は「瑞松院宛て足利政氏消息の再検討ー「きやうふ(刑部)」・「瑞松院」・「周厳西堂」の人名比定を中心としてー」である。
本報告の主題となる「瑞松院宛て足利政氏消息」は、田中氏が以前検討し、発給者が足利政氏(2代古河公方)であることを明らかにした史料である。以下、全文を掲げる。
【史料】足利政氏消息(喜連川文書)
なを〳〵ほつう事うけ給候、御うれしく候、ふひんなか〳〵にて候、
かへりうにつきねんころにうけ給候、御うれしく存候、ふしきにふいにかへり候、よろこひ給候へく候、すきしかた周厳西堂禅興寺てうの事承候、寺やくなきにはいたし候ハす候、さりなからなをせんこう寺へあかり給へく候ハヽ、けんかう院とのゝ七ねんにあたり、ひとつけニて、御けうしょつかはし候へく候、くハしくハきゃうふ申へく候、かしく、
(文亀3年、1503)(封紙ウハ書)
「瑞松院 まさ氏 上書」
本報告では、太字で記した「瑞松院」「周厳西堂」「きゃうふ」の人物比定を検討したものである。
まず、「瑞松院」について。瑞松院は『鎌倉年中行事』に比丘尼五山としてあげられており、太平寺・東慶寺(神奈川県鎌倉市)と同様に関東足利氏出身の女性が入寺している。そのため、政氏の姉妹で瑞松院の住持を務めていた女性とした。
次に、「周厳西堂」について。先行研究ですでに五山僧の個別の動向は網羅的に検討されており(玉村2003)、これによれば端叔周厳という人物が存在する。本報告では、法諱が同じであることから、「周厳西堂」は端叔周厳であるとしている。
ただし、端叔周厳は延徳3年(1491)に侍者(僧侶の格の1つ)になって以降、永正6年(1509)にも侍者のままであり、西堂(こちらも僧侶の格の1つ)にはなっていない。そのため、仮に端叔周厳であれば「周厳西堂」ではなく「周厳侍者」と表記されるのではないか、という質問が出た。この点については、田中氏は【史料】は周厳が禅興寺住持になるための公帖を求めたものであり、先走るかたちで「周厳西堂」と表記してしまった、また結果的に禅興寺の住持になることはなかったことから、永正6年段階でも侍者のままだったのではないかと説明した。
最後に、「きゃうふ」について。これは、漢字で記すと「刑部」となる。本報告では、この時期の関東足利氏関係史料に登場する「刑部」は里見刑部大輔(『戦房』2749号)しかいないことから、「きゃうふ」も里見刑部大輔のことではないかとした。さらに、【史料】では足利政氏消息の使者としてみえることから、里見刑部大輔は政氏に近侍しており、領国の安房にはいなかったのではないかと推測した。
この点については、私が戦国時代の関東において、戦国大名・国衆の当主が古河公方発給文書の使者を務めることはどれくらいあるのかという質問をした。前提として、戦国時代の地域権力が領域権力化(地域国家化)しており、中央権力から一定程度独立した権力となっていたことがあげられる。里見氏の場合、少なくとも永正5年時(『戦房』440号)には安房国全体を支配する戦国大名になっていたと考えられる(滝川・細田編著2022)。それ以前については史料がなく不明瞭だが、【史料】はわずか5年前のことであり、すでに領域権力化していたと考えるほうが自然だろう。この点をふまえたときに、戦国大名の当主が(一時的に古河公方のもとに参府することはあっても)古河公方に近侍して使節を務めることはあまり想定しづらいのではないか、という主旨の質問である。
これに追加で、細田大樹氏は名字が足利と里見で異なることに注目し、名字を省略する場合は同じ名字の場合であって、仮に里見刑部大輔であれば「さとミきゃうふ」などと記されるのではないか、という質問があった。このように、「きゃうふ」=里見刑部大輔説に対して疑問が出るなかで、柴裕之氏が代案として女房名として捉えるのが妥当ではないか、と指摘した。
女房名とは、女房衆が実名ではなく奥向に仕える際に名乗った名前である。たとえば、斎藤福が「春日局」を名乗っていたことは有名であろう。こうした女房名のなかには、大蔵卿局(浅井茶々の乳母)・民部卿局(浅井江の乳母)など、八省の官職を名乗っていた女性も存在する。つまり、柴氏の指摘は安養院殿(足利政氏の正妻)に仕える女房衆のなかに、「刑部卿局」などと名乗っていた女性がいたのではないか、というものである。
こうした意見をふまえて、田中氏は女房名のほうがよりよいのではないかとしている。ただし、里見刑部大輔の可能性が完全に否定されたわけでもない。今後、新出史料の発見や既存史料のさらなる精緻な分析によって明らかになることを期待したい。
【参考文献】
滝川恒昭・細田大樹編著『図説 戦国里見氏 房総の海・陸を制した雄族のクロニクル』(戎光祥出版、2022年)
玉村竹二『五山禅僧伝記集成』(思文閣出版、2003年)


