7月13日、戦国史研究会第525回例会が開催された。場所は駒澤大学駒沢キャンパスで、報告者は学習院大学大学院の吉田勝弥氏である。
論題はもともと「「公方―管領体制」と扇谷上杉氏」であったが、実際には「戦国期東国における扇谷上杉氏の位置づけの再検討―上杉憲勝書状を手がかりに―」というように変更された(論題の変更の背景については後述する)。
この報告は、黒田基樹氏が2022年に紹介した史料をさらに深掘りして、当時の関東情勢を論じたものになっている。まず、上杉憲勝の系譜関係については、扇谷上杉氏出身説(黒田2022)と八条氏出身説(長塚2022)の2説がある。今回の報告では、実際の系譜は断定できないものの、政治的には扇谷上杉氏の人物であることを標榜し、それが関東の諸将に受け入れられていたと評価している。
また、永禄4年(1561)4月から翌年4月まで葛西城(東京都葛飾区)を占拠していた主体について、従来は岩付太田氏説(長塚1992など)と房総里見氏説(『千葉県の歴史』など)があったが、上杉憲勝書状によって岩付太田氏説が確定的になったと黒田氏は評価している。しかし、報告者は房総里見氏説が否定されたわけではないとし、岩付太田氏・房総里見氏連携説を唱えている。
さらに、上杉憲勝書状における敬語の使用差から、報告者は上杉謙信(当時は政虎)以外に上位者がいたことを推察しており、具体的には足利藤氏ではないかとしている(ただし、この点には質問時間に批判も出た)。そこから、「足利藤氏―上杉憲勝」という「公方―管領体制」の構図を見出している。
しかし、「公方―管領体制」については、報告者も問題提起しているように、その用語の定義が非常に曖昧なものとなっている。この用語は、もともと佐藤博信氏が関東戦国史を「鎌倉府体制」「公方―管領体制」「関八州国家体制」の3段階に区分し、その2段階目に位置づけられた概念である(佐藤1979)。しかし近年、「公方―管領体制」の定義する時代は拡大傾向にあり、一番広い場合では室町時代から小田原合戦までを通じて「公方―管領体制」とされる場合もある。したがって、戦国期の古河公方と上杉氏・北条氏の関係については再定義を行う必要があると考えている。
もともとの論題は、この問題点に言及しようとしているところがあったと推察される。私も現時点では明快な説明ができているわけではなく、今後の研究課題としていきたい。
【参考文献】
黒田基樹「新出の上杉憲勝書状」(『戦国史研究』84、2022年)
佐藤博信「戦国期における東国国家論の一視点―古河公方足利氏と後北条氏を中心として―」(同著『古河公方足利氏の研究』校倉書房、1989 年、初出1979 年)
長塚孝「中世後期の葛西城・葛西地域をめぐる政治状況」(『葛西城ⅩⅢ第 3 分冊』葛飾区遺跡調査会、1992年)
長塚孝「八条流馬術の成立と展開」(『馬の博物館研究紀要』23、2022年)
『千葉県の歴史』通史編中世(千葉県、2007年)

