8月10日、日本大学文理学部キャンパスにて戦国史研究会第526回例会が開催された。報告者は小川雄氏で、論題は「佐久間信栄の復権と再失脚」である。
本報告の主題である佐久間信栄は、織田家家臣筆頭・佐久間信盛の嫡男にあたる。すでに知られているように、信盛は天正8年(1580)に織田信長から叱責を受けて追放されている。一般的に、この事件は信長の苛烈な性格や織田政権の独裁的な性格が強調される。しかし、天正10年に信盛が死去した直後に信栄は織田信忠(信長の嫡男)の家臣として復帰しており、本報告では一般的な評価は妥当ではないとしている。
家臣復帰の同年、本能寺の変が発生したため、信栄は織田信雄(信長の二男)の家臣となった。これ以降、信栄は「三浦駿河守秀勝」と名乗る。この事実は二次史料である『寛政重修諸家譜』に記されているのみであったためこれまであまり注目されてこなかったが、一次史料に三浦秀勝の名前が確認され、本報告によって『寛政重修諸家譜』の記述が正しかったことが証明された(ただし、煩雑さを避けるため、本稿では基本的に佐久間信栄に統一する)。
そして、小牧合戦の際に信栄は羽柴秀吉の背後を衝くために紀伊の国衆との交渉を担当し、実際の戦闘では蟹江城(愛知県蟹江町)に籠もっている。しかし、信雄が秀吉に降伏した後に信栄は再び失脚した。この背景について、本報告では秀吉が紀伊征伐を行ったことが契機であるとしている。
本報告を踏まえて、本能寺の変後の織田家の構造が解明されることを期待したい。また、戦国大名の家臣団の研究は全体的に遅れているので、その権力構造を解明するためには個別事例を蒐集していく必要があるといえるだろう。
