本書の概要
本書は、2022年より始まっている大型企画『戦国武将列伝』シリーズの一環として刊行された、第4巻甲信編である。このシリーズは、全国各地で活躍した武将たちを地域別でまとめて取り上げ、近年の戦国史研究の成果と多数の関連史料分析により、彼らの実像および具体的にどのような活躍をしたのかをわかりやすく解説するものである。基本的に戦国武将というのは、おおよそ後世に創作された伝記による逸話・伝承や漫画・ゲームなどの影響によって、史実とはかけ離れたイメージで語られる部分が多いのは周知の事実である。本シリーズは、数多の研究者たちによる地道な研究の営みの一端に触れ、史料に基づいた戦国武将の実像を知ることができるという意味で、大変魅力的といえよう。
甲信編は、甲斐・信濃(現在の山梨県と長野県)の2国で活躍した戦国武将について取り上げ、各武将の事蹟・個性を網羅したうえで、彼らは何のために戦っていたのかについてまとめられている。甲信の戦国武将といえば、まず思い浮かぶのは武田信玄、真田昌幸、信繁(幸村)あたりであろうか。有名な武将が数多くおり、川中島合戦や天正壬午の乱の舞台となる地でもあるため、その人気は高い傾向にある。しかし、それ故に他の地域に比べ、武将や戦いについてはとりわけ虚実入り交じって語られる部分が多いといえる。古文書や古記録といった関連史料の収集・博捜および徹底した読み込み、さらにはフィールドワークといった基礎研究のうえに構築された時代像や人物像というのは、おおよそ世間で語られるイメージとは隔絶している。本書は、そのような重厚かつ精緻な研究の膨大な蓄積のうえで成立したものといえよう。目次は以下の通りである。甲信戦国史の最前線をゆく精鋭の執筆陣による、実に魅力溢れる内容となっており、立項部分を見るだけでも興味関心が大いにそそられる。
①武田信虎――武田家を戦国大名に押し上げた勇将(海老沼真治)
②武田信玄――数々の逸話を残した甲斐の英雄(海老沼真治)
③武田勝頼――時代に背かれた悲劇の名将(海老沼真治)
④小山田信有・信茂――御譜代家老をつとめた武田家重臣(小佐野浅子)
⑤穴山信友・信君・勝千代――武田一門の国衆として苦悶しつづけた一族(深沢修平)
⑥大井信達――乱国の甲斐を生きぬき歌を愛した信玄の祖父(深沢修平)
⑦今井信元――武田信虎に最後まで抗った反骨の一族(深沢修平)
⑧山県昌景――愚直に信玄に尽くした「赤備えの猛将」の実像(深沢修平)
⑨馬場信春――“働き比類なし”と賞された武田家宿老(海老沼真治)
⑩内藤昌秀――信玄の信頼厚き西上野郡司(金子祐太郎)
⑪春日虎綱――『甲陽軍鑑』の原作者とされる北信濃支配の要(平山優)
⑫小笠原政秀――南信濃戦国史の扉を開いた人物(花岡康隆)
⑬小笠原定基――内外から一目おかれた故実家(村石正行)
⑭小笠原長時・貞慶――国を追われた信濃最後の守護(村石正行)
⑮小笠原信貴・信嶺――信濃戦国史の“勝者”(花岡康隆)
⑯仁科道外――一族の盛衰を決定づけた仁科氏の重鎮(逸見大悟)
⑰諏訪頼満・頼重――武田氏に立ちはだかった信濃屈指の名族(平山優)
⑱高遠頼継――諏訪氏惣領を目指した野心家(長谷川幸一)
⑲藤沢頼親――信玄に立ち向かった伊那衆の有力者(村石正行)
⑳木曽義康・義昌――信濃西部を領した大身衆(村石正行)
㉑下条信氏・頼安――美濃・三河にまで勢力を広げた境目の国衆(平山優)
㉒知久頼元・頼氏――明治維新まで続いた数少ない信濃国衆(平山優)
㉓高梨政盛――関東管領を討った北信濃の雄(花岡康隆)
㉔高梨政頼・頼親――信濃最北の国衆(降幡浩樹)
㉕市河信房――武田・上杉両家の狭間を生きた武将(西川広平)
㉖島津忠直――大勢力の狭間で翻弄された北信濃の雄(中村亮佑)
㉗須田満親――上杉景勝の信頼厚い海津城代(原田和彦)
㉘村上義清――「武田信玄を二度破った武将」の実像(花岡康隆)
㉙屋代政国・正長・秀正――戦国乱世を泳ぎきった村上一族の名門(平山優)
㉚室賀信俊・満正・正武・満俊――諸勢力に翻弄された村上氏の一族(平山優)
㉛真田幸綱・信綱――没落から再起した不屈の父子(平山優)
㉜真田昌幸――天下人に警戒された「表裏比興の仁」(平山優)
㉝祢津常安・昌綱――武田・北条・徳川・真田を渡り歩いた滋野一族の名門(山中さゆり)
㉞依田信蕃・康国――家康の信頼厚い天正壬午の乱の功労者(平山優)
本書の特徴
本書の特徴としては、信虎・信玄・勝頼ら武田氏当主とその家臣を除けば、基本的に国衆当主が集中的に立項されていることがあげられる。これは、編者である平山優氏によると、近年、戦国期における領域権力「国衆」の研究が少しずつ進展している状況が影響しているという。
東国の国衆は、室町期の国人とはその権力の質が根本的に異なるものだが、その室町期から戦国期にかけての国人から国衆への脱却・成長過程については、必ずしも実証研究が進んでいるとはいいがたい状況にある。そこで、甲信の国衆をできる限り取り上げることで、国衆成立の過程や領域権力としての成長に、共通する部分があるか否か、そして国衆概念はこの甲信地域に適用しえるか、という点を確認したかったという意図が込められている、とのことである。
たしかに、近年の国衆研究が大きな広がりを見せており、さまざまな地方における研究で国衆に関する議論が援用されているのは周知の事実である。とりわけ、信濃における武田氏の従属国衆「先方衆」については詳細な分析が進んでおり、大名の軍事力的側面や、大名との交渉を担当する重臣(取次)との人的関係の実態が明らかになりつつある。本書は、武田氏における国衆研究において、ある意味では総括的役割を果たしているともいえよう。
本書の構成は34項目、立項武将は52名にものぼる。その情報量は膨大なため、立項武将のすべてを紹介することはできない。そこで、以下では筆者がとくに注目した研究情報・武将について触れていく。
武田信虎・信玄・勝頼の武田氏当主三代の立項は、今日までの武田氏における政治史研究のなかで判明した新たな知見の集積といえよう。この当主三代は、一般的には次のようなイメージが浸透している。まず、武田信虎といえば、暴虐な悪政の限りを尽くした人物で、長男・信玄を正当な理由もなく廃嫡にして次男・信繁を偏愛した結果、信玄に追放された。その信玄は逆に、完全無欠で非の打ち所のない英雄。次代の勝頼は、猪突猛進な性格が災いして信玄以来の重臣たちと対立し、それらを遠ざけ奸臣ばかり重用した。そのため、長篠合戦で織田信長の火器集中運用の前に大敗を喫した暗君。おおよそこのようなイメージであろう。
しかし、上記のイメージは江戸期に編纂された軍記物『甲陽軍鑑』(原本は室町時代後期所産)の中で語られ、それが後世になってさらに脚色された影響で形成された虚像である。それら既存のイメージを取り払ったうえで、歴史学の学術的手続きに則り、同時代の史料検討を重ねたうえでこの三人の事蹟を追うとどのような人物像が見えてくるのか。
信虎は信玄以前に武田氏を戦国期における有力な地域権力へと押し上げ、現代にも繋がる甲府(山梨県甲府市)の基盤を築いた優秀な政治家であった。信玄は若い頃から家臣を統制できず、外交では諸勢力に振り回される苦労人的側面があった。勝頼は本来想定されてなかった嫡男でありながら、長篠の敗戦後も優れた家中改革と外交手腕によって武田氏を立て直した名将であった。このように、最新研究から見えてくる新たな実像が明瞭に整理されているといえる。
近年の研究成果によって導き出された見解に驚かされるのは、武田氏重臣も同様である。穴山信友・信君が親子そろって大酒吞みであったこと、山県昌景の「赤備えの猛将」というイメージは江戸期以降の創作であったということ、内藤昌秀が上野箕輪城(群馬県高崎市)の城代および対上杉氏外交を担当し、かなりの権限を有していたことなど、どの武将にもなかなか興味深い知見がつまっている。個人的には、馬場信春の存在が気になるところである。本書でも触れられていることだが、馬場は「武田四天王(武田四名臣)」最年長・熟練の名将として名高いが、宿老と比較して与えられていた権限が低く、ほかの宿老山県昌景・内藤昌秀・春日虎綱らと異なり、武田氏当主の偏諱「信」の字を授与されている。これらの要因について、詳しいことはいまだわかっていない。新たな歴史的事実が次々解明されてくる一方で、その先にはさらなる研究課題が待ち受けているといえよう。
また、武将たちを巻き込んだ歴史的事象について、元亀2年(1571)12月頃に、上杉謙信が武田氏に対し同盟を申し込んできたという事実が確認されることは興味深い。武田・上杉両氏の関係といえば、川中島合戦を中心とする因縁がまず思い浮かぶため、なかなか想像しがたいものがあるのではないのだろうか。しかし、大名同士の外交とは、一概に「敵か味方か」に区分けするだけで理解できるほど単純なものではない。状況次第によっては、どれだけ敵対関係にあろうが、一転して和睦もしくは軍事同盟に発展することなどは日常茶飯事といってよい。このような、戦国期における外交の常識、甲信地域における政治情勢の概略が簡潔に把握できるといったことも、本書の魅力といえるだろう。
信濃国衆についても、武田氏に味方もしくは敵対した存在が数多く立項され、どの人物も非常に興味深い。国衆の立項部分を総括して平山氏は、諏訪・下条・知久・須田氏などの事例をみると、室町期の国人から戦国期の国衆への移行は、応仁・文明期の前後で共通しており、支配領域の拡大や惣領家による庶家の従属、村の地侍や牢人を含めた家臣団(家中)の形成など、国衆論が指摘する傾向を看取できるとしている。恒常化する戦乱のなかで、国衆はそれぞれ独自に領域権力化を実現しながら、ある者は国衆として存続し、近世まで生き残った者は豊臣大名として確立する。そのようにならなかった者は没落し大名の家臣となっていく。信濃の地は、実に多くの国衆が存在し、存続・没落どちらにおいても数多くの事例が検出できる。そのような意味で国衆の万華鏡ともいえる空間である。
立項された信濃国衆のなかで、筆者が個人的に関心を抱いているのは、村上義清である。この人物は上田原合戦・砥石崩れにおいて武田信玄に勝利している。「神君」家康公に苦汁をなめさせた信玄だが、その信玄を二度に渡り打ち破った武将で、北信濃の本領を追われてからも上杉謙信を頼り、川中島合戦勃発の起因となった。このように戦国期甲信の政治史のなかでは重要人物なのだが、義清に関する同時代史料は実は乏しい。発給文書は正文・写含めてわずか7通に留まっており、内容は全て一時的な情報伝達についてである。ようするに、領域支配や家中統制に関する徴証は皆無であり、極端に言ってしまえば大名どころか国衆かどうかさえ怪しいのである。片や武田氏といえば、同時期にはすでに大量の文書発給がみられることは周知の事実である。領域権力化という視点でみれば、村上氏は武田氏に遠く及ばなかった。最終的に義清が信玄に破れるのは、ある意味では自明の理といえようか。
ただ、村上氏に従属していたとされる室賀氏は明確に国衆であるとされ、本書でも信俊・満正・正武・満俊と四代に渡り立項されている。この室賀一族も中々に興味深く、上杉領に隣接する境目の国衆であったことから信俊は武田氏に去就を警戒され、武田家中の内紛義信事件の影響で養子満正に家督を譲り隠居を余儀なくされる。その満正も織田氏による甲州征伐・武田氏滅亡によって死去している。後を継いだ正武は天正壬午の乱で諸勢力間を渡り歩き、最終的には同じ北信濃国衆真田昌幸に暗殺される。正武といえば、2016年大河ドラマ「真田丸」にて西村雅彦氏が演じ、そのコミカルかつ強烈なキャラクター性から多くの注目が集まったことは記憶に新しい。室賀氏は満俊の代で徳川氏旗本となり子孫は明治維新まで存続しているが、そこに至るまで実に多くの勢力に翻弄されたという歴史があることは特筆すべきである。
総じて本書は、甲信における戦国武将をまとめて網羅できる良質な一冊である。戦国武将に感心のある歴史好きや、戦国期をこれから研究しようと思っている者には最適である。ここまでさまざまな視点から本書を論じてきたが、あくまで筆者自身の関心に基づいた議論であるほか、紹介しきれなかった武将も数多くある。平山氏が推している下条頼安や依田信蕃についても必見である。その政治・軍事動向には目を見張るものがあり、彼らなくして戦国期の信濃は語ることはできないであろう。本記事を読んで少しでも本書に興味を抱いた方は、是非手にとって熟読していただきたい。
【参考文献】
黒田基樹『増補改訂 戦国大名と外様国衆』(戎光祥出版、2015年)
平山優『戦国大名と国衆』(角川選書、2018年)
深沢修平「戦国大名武田氏の先方衆統制―取次と縁戚の役割分担―」(『戦国史研究』六三、2012年)
丸島和洋『戦国大名武田氏の家臣団 信玄・勝頼を支えた家臣たち』(教育評論社、2016年)
丸島和洋『武田勝頼 試される戦国大名の「器量」』(平凡社、2017年)
丸島和洋『戦国大名の「外交」』(講談社、2025年)
戦国史研究会編『戦国時代の大名と国衆 支配・従属・自立のメカニズム』(戎光祥出版、2018年)









