戎光祥出版/2024年7月刊/A5版/162ページ/1980円/ISBN:978-4-86403-535-4

はじめに

皆さんが「戦国大名」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは誰だろうか。天下人となった織田信長・徳川家康か、はたまた川中島で争った武田信玄・上杉謙信などがあがるかもしれない。このようななかで、本書で扱われている北条氏康の名をあげる人はけっして多くはないだろう。もしそのような人がいたら、よほどの通といえる。

一方、戦国史研究においては、北条氏が「典型的な戦国大名」と評価されており、そのなかでも氏康が治世を行っていた時期は、北条氏全体の歴史のなかでも三分の一を占めている。すなわち、北条氏康こそが戦国大名の代表者といっても過言ではない。

けれども、北条氏康の評伝はこれまで刊行されていない。本書の著者である黒田基樹氏は、これまで『戦国大名・伊勢宗瑞』(KADOKAWA、2019年)、『北条氏綱 勝って甲の緒をしめよ』(ミネルヴァ書房、2020年)、『北条氏政 乾坤を截破し太虚に帰す』(ミネルヴァ書房、2018年)、『戦国大名・北条氏直』(KADOKAWA、2020年)と、2020年までに北条氏歴代当主の評伝を単著で出しており、残すは北条氏康の評伝のみとなっていた。

したがって、本書の刊行によって、黒田氏による北条5代についての単著の評伝が揃ったことになる。

本書の内容

まずは目次を確認したい。

Ⅰ 誕生から家督継承まで 永正十二年(1515)~天文十二年(1543)
Ⅱ 関東・東海での軍事行動、唯一の関東管領へ天文十二年(1543)~天文二十一年(1552)
Ⅲ 長尾景虎との戦いと古河公方の擁立 天文二十一年(1552)~永禄二年(1559)
Ⅳ 関東制覇の野望と氏政への家督譲渡 永禄二年(1559)~永禄八年(1565)
Ⅴ 無双の名将、世を去る 永禄九年(1566)~元亀元年(1571)

Ⅰでは、氏康が父・北条氏綱の嫡男の立場であった時期についてまとめられている。氏綱は、永正16年(1519)に家督を相続して以降、苗字を「北条」に改姓したり、鶴岡八幡宮の再建事業に着手したりして、関東の支配者としての立場を確立させていった。そして、天文7年(1538)の第一次国府台合戦での軍功を評価され、古河公方・足利晴氏から関東管領に任じられ、娘の芳春院殿が晴氏と婚約することになった。これにより北条氏は関東で古河公方に次ぐ政治的立場を獲得したのである。

Ⅱでは、北条氏綱が死去して氏康が家督相続してから、山内上杉憲政を越後に没落させるまでの動向をまとめている。関東管領は、もともと山内上杉氏の家職という認識があったため、北条氏が関東管領になって以降も山内上杉氏は関東管領を自称していた。このように、2人の関東管領が並列している状況が長く続いていたが、憲政が関東から没落したことで、氏康が唯一の関東管領になったと本書では評価している。

Ⅲでは、氏康が擁立した古河公方・足利義氏の成長と、義氏の権威を借りて勢力を拡大していく北条氏の姿が記されている。この時期の軍事行動は、これまであまり注目されておらず、本書ではじめてまとめられたといえるものである。とくに、この間に成立した駿甲相三国同盟は、これ以降の東国政治史に大きな影響を与えるものといえるだろう。

Ⅳでは、飢饉を期に嫡男の北条氏政に家督を譲って以降、上杉謙信との対決の過程が描かれている。上杉謙信は、上杉憲政の養子となって関東管領職を継ぎ、関東では再び関東管領が並立する状況になったのである。氏康は、たびかさなる上杉謙信の越山に苦戦するも、第二次国府台合戦で勝利するなど、徐々に優勢な状況になっていく。

Ⅴでは、氏康が出陣しなくなってから、死去するまでがまとめられている。永禄11年(1568)の武田信玄による駿河侵攻によって駿甲相三国同盟が瓦解し、氏康は今川氏真を支援して信玄と戦うために、これまで長年にわたって敵対してきた上杉謙信と同盟を結ぶ。こうした一連の流れは、東国戦国史を大きく転換させることになり、これ以降は中央政権との関係が重要になってくる。

本書の特徴

このように、本書は氏康の生涯のなかでもとくに軍事・外交面の内容を重点的に記したものとなっている(なお、著者も言及しているように、氏康の内政については『戦国北条家の判子行政』〈平凡社、2020年〉が参考になる)。一般的には氏康と同時期に活躍した武田信玄・上杉謙信・今川義元の知名度が高く、氏康の戦争は彼らとの関係性が中心として描かれることが多いが、本書では古河公方や北関東の「大名(たいめい)」層、房総里見氏との関係にも相当な分量が割かれている。

また、戎光祥出版のなかでもとくに人気の高い「図説」シリーズということもあり、毎度のごとく図版類が豊富なことも本書の特徴といえるだろう。私は「図説」シリーズについて、おおむね「鎌倉幕府」「室町幕府」「明治政府」のような組織を扱う系統と、「藤原氏」「武田信玄」「豊臣秀吉」のような個人・一族を扱う系統の2種類に分けることができると考えている。このなかで、後者はとくに肖像画や関係史跡の写真が多用され、「中世武士選書」のシリーズと比較したときに、写真の割合が相対的に多く、写真がカラーになっているというところに「図説」の特徴を見出すことになりがちである。

しかし、本書は肖像画や史跡の写真だけではなく、情報を表にまとめたり、合戦の布陣図や城の縄張図を掲載したりしている。このなかでも、天文10年・天文15年・天文21年・永禄2年・永禄3年・永禄11年・元亀2年(1571)の北条氏の領国を図示している点は、「図説」の長所を最大限に生かした表現といえるだろう。たいてい、戦国時代に関する一般書の地図は、戦国大名・国衆の当主の名前と、本拠地の場所を示すだけというものが多い。まれに領国を図示する書籍もあるが、それでももっとも代表的な時期の地図1つだけというものが多い。一方、本書は氏康の生涯57年のなかで、7つの時期の地図を載せている。これにより、北条氏の支配領域の変遷を追うことが可能になっている。

とくに、永禄2年・永禄3年のところは1年違いで地図が掲載されている。ちょうど永禄3年には上杉謙信の越山によって、これまで北条氏に従属していた国衆が続々と謙信に寝返った結果、北条氏の本拠地・小田原城を包囲される事態に至っている。この点、たとえば久保健一郎氏は「境界領域の攻撃というよりも敵領国の奥深くに攻め入っ」たと評価している(久保2020年)。しかし、そう捉えるのではなく、越山によって北条領国が急激に縮小し、境目が越後・上野国境から南武蔵に移ったとみるべきであることが、本書からうかがえる。つまり、謙信の越山は「国郡境目相論」に基づく戦争ということができる。

このことは、文献史料・考古資料を含めた一次史料のみならず、一次史料を基に構成された“資料”も歴史について考察するための材料になりうるということを示している。こうした見方は、歴史学というよりもむしろ歴史教育における歴史的思考力の育成手法に基づくものである(中村2024)。つまり、本書は最新の研究動向をまとめた、戦国史研究者向けの書籍であるとともに、歴史教育において戦国時代について考察するための教材になりうるものと評価できるだろう。

おわりに

以上、書籍の内容とその特徴を紹介した。これまでみてきたように、本書は「図説」シリーズの長所が発揮されている、「ミスター戦国大名」北条氏康の評伝といえる。しかし、著者も言及しているように、北条氏康については検討すべき問題がいくつか残っている。

その1つといえるのが、古河公方・足利義氏との関係性であろう。古河公方と北条氏の関係については、佐藤博信氏が越相同盟を契機に「公方―管領体制」から「関八州国家体制」に移行したと評価してから(佐藤1979)、長塚孝氏や黒田氏などによる研究の蓄積がある。近年では、「関八州国家体制」という見方がなくなっていく代わりに、「公方―管領体制」という概念が拡大傾向にある(吉田2024)。しかし、それでも義氏の古河公方就任時と義氏没時とで古河公方と北条氏の関係に変化がみられることは紛れもない事実である。こうした変化をどのように捉えていくのかが今後の課題といえよう。

そして、これらの検討が済んだ後、黒田氏による本格的な氏康の評伝が刊行されることを期待したい。

【参考文献】
久保健一郎「東国の戦国合戦」(高橋典幸編『中世史講義【戦乱篇】』筑摩書房、2020年)
佐藤博信「戦国期における東国国家論の一視点―古河公方足利氏と後北条氏を中心として―」(同著『古河公方足利氏の研究』校倉書房、1989 年、初出1979 年)
中村崇志「アメリカの歴史教育がめざす歴史的思考」(會田康範・駒田和幸・島村圭一編『「歴史的思考」へのいざない 人びとをつなぐ歴史の営み』戎光祥出版、2024年)
吉田勝弥「戦国期東国における扇谷上杉氏の位置づけの再検討―上杉憲勝書状を手がかりに―」(戦国史研究会第525回例会報告レジュメ、2024年)