去る12月14日、駒澤大学駒沢キャンパスにて、戦国史研究会第530回例会が行われた。報告者は吉田匠一郎氏で、論題は「毛利・宇喜多関係の破綻と毛利・織田和睦交渉」である。
天正4年(1576)より始まる毛利・織田間の戦争は、天正6年までは、木津川口合戦での勝利や、別所長治ら播磨国衆の離反によって毛利氏が有利な状況であった。しかし、同年12月に毛利輝元が摂津・播磨方面へ出陣を表明したにもかかわらず、突如として中止された。この出陣中止は対織田戦線を動揺させ、天正7年10月に備前の宇喜多直家が毛利氏を見限り、織田方へ寝返った。このことにより、戦争は織田氏の有利へと転じ、毛利氏は領国へ侵攻されることとなった。このため、安国寺恵瓊の主導によって毛利・織田間の和睦交渉がもたれたが、和睦が実現することは無かった。
本報告では、天正4~8年にかけての毛利・織田戦争の経過について、①天正7年の毛利軍の東方出征が実現されなかった要因、②宇喜多直家が織田方に転じた要因、③いつ、毛利氏が織田氏との和睦交渉を開始したのか、という3点に着目して再検討を試みている。
①の点については従来、光成準治氏によって、毛利家中への不安と国人離反を招く恐れがあったため中止されたと述べられてきた(光成2020)。しかし、吉田氏は中止の要因はほかにもあったのではないかと問題提起している。その際の素材として、乃美宗勝宛小早川隆景書状写(『萩藩閥閲録』、『戦国遺文 瀬戸内水軍編』432)をあげている。この史料は、隆景が東方への進軍について乃美宗勝に伝達した書状である。年次比定については、吉田氏は「野州乗船之事」という文言に着目し、「野州」を細川通薫に比定したうえで、天正6年時点で彼の動向がみえないことから天正7年に比定している。この比定を踏まえて、吉田氏は天正7年に毛利氏が東方進軍を画策していたと論じ、光成氏が指摘するような慎重的姿勢はなかったと結論付けた。しかし、隆景書状の年次比定については会場より疑義を呈する質問もあったため、検討していく余地があるだろう。
そして、吉田氏が新たに提起した要因が、天正7年3月における宇喜多直家の動向である。この月に直家は美作の三星城に軍勢を派遣している。三星城主の後藤勝基は当時毛利氏と連携関係にあった。そのため、毛利氏家中で直家に対する不信感が高まり、毛利氏に東進策を思いとどまらせていたと論じた。
吉田氏はこの推測を踏まえたうえで、②の点について考察を加えた。先行研究においては毛利家中の弱腰な態度(光成2020)や、織田方の優勢(渡邊2011)などに原因を求めている。吉田氏は渡邊氏の見解に近い立場をとっており、信長が着実に戦果をあげつつあるなかで、直家が羽柴秀吉から調略を受けていたことを証左として、直家としては毛利・織田双方のどちらにも味方できる状態にしておこうとしていたと推測している。
最後に、③の点について、これまでの検討を踏まえたかたちで再考を加えている。吉田氏は天正8年に比定されている5月12日付棚守房顕宛安国寺恵瓊書状(「巻子本厳島文書」、『丹羽長秀文書集』参考38)に着目している。この書状は織田氏との和睦交渉過程について報告したもので、先行研究内において年次比定が一致を見ていない。吉田氏は天正7年・天正8年のいずれかに絞り込んだうえで、宇喜多と織田氏との関係を記した記述などから天正8年と比定した。そして、講和交渉の主体が織田氏であったとし、毛利氏も本願寺の降伏を受けて、義昭上洛のための橋頭堡を失ったことから和睦を行う利点があったと推定している。また、恵瓊がこの講和を主導した要因として、彼の京都時代の人脈と、かねてより織田氏・宇喜多氏との交渉を担っていたことが大きいとも推測している。
最後に、吉田氏は今後の展望として、恵瓊の動向をさらに深彫りしていく必要があるとし、信長存命期の恵瓊に関する史料を『萩藩閥閲録』のなかから発見することを今後の目的として報告を閉じた。
吉田氏報告の成果としては、宇喜多直家の軍事行動が毛利氏における対織田氏戦争遂行においてカギを握っていたことを明らかにした点に求められるかと思う。しかし、宇喜多氏が毛利氏の対織田氏戦線にどの程度寄与していたかについて、報告者は言及していなかった。そのため、この点を解明できるとより自身の学説を具体化できると思われる。
このほかにも、本報告には積み残した課題もあるように思われる。たとえば、和睦交渉について、恵瓊書状内においては、丹羽長秀・明智光秀などの織田氏家臣のほか、近衛信基など朝廷方の人間の関与もあったことがわかる。加えて、朝廷側の人間の窓口としては、口羽通良があたっていたことがわかる。そのため、恵瓊一人で和睦交渉が進められていたわけではなく、様々な手筋から和睦実現が模索されていたととらえるべきである。この点は毛利側の史料だけでなく、織田氏側の史料や公家日記などを参照したうえで、多角的な視点にたってアプローチをする必要があるだろう。
【参考文献】
光成準治『本能寺前夜 西国をめぐる攻防』(KADOKAWA〈角川選書〉、2020年)
渡邊大門『戦国の交渉人 外交僧・安国寺恵瓊の知られざる生涯』(洋泉社、2011年)


