3.本書の課題
事実レベルでの誤謬
さて、前節まではいわば前座にすぎない。本書には、数々の問題点を見出すことができる。本稿の主目的はこの問題点をまとめることであり、本節が筆者にとってもっとも伝えたい内容ということになる。
はじめに、細かい点ではあるが、事実レベルで間違いや誤解を与える表現がいくつか見受けられる。前述した近年の教育改革に対する記述がまったくないこともその1つだが、それ以外にも歴史学に関する内容にも存在する。たとえば、古代を理想の時代と捉える歴史観について、本書では皇国史観との関連から説明されている。皇国史観にそのような特徴があることは否めないが、それは一面的な見方にすぎない。たとえば摂関政治を行った人物として著名な藤原道長は古代の人物だが、皇国史観的には「朝廷を恐れないで、わがまゝなふるまひが多かつた」「専横はます〳〵つのるばかりであった」(文部省編1970)など、散々ないわれようである。これに対し、中世に「建武の中興」を行った後醍醐天皇は高く評価され、それを支えた楠木正成・新田義貞は勤皇家ともてはやされている。したがって、古代・中世といった時代に関係なく、天皇家が政治に関わっていれば高く評価され、外されていれば悪く言われる、というのが皇国史観である。
古代を理想とする思想は皇国史観ではなく、根源的にはルネサンスにさかのぼることができるといえる。ルネサンスは14世紀にイタリアで始まった文芸復興運動である。このなかでは、ローマ帝国が崩壊した後にゲルマン人によってヨーロッパが支配されていた時代を「暗黒の時代=中世」と捉え、それ以前のギリシャ・ローマの時代を「理想の時代=古代」と捉えられた。そのうえで、理想の古代に広まった文化・芸能を復活させよう、というのがルネサンスという現象である(徳橋2020)。
また、権門体制論・東国国家論に対する本郷氏の理解も疑わしい。筆者は中近世以降期を専門としており、中世前期は専門外である。むしろ本郷氏は鎌倉時代が専門であるから、賛同するにしろ反論するにしろ、権門体制論・東国国家論については筆者より明らかに理解しているはずであり、以下に記す批判は的外れかもしれない。しかし、筆者が関連書籍・論文を読んだ限り、本郷氏はこれらを誤解しているように見受けられるので、以下に筆者の所感を示していきたい。
本郷氏は、権門体制論を「天皇を中心とする大きなピラミッド型の「国家」として捉える考え方」としている。これ自体は間違いではないが、これに対して「中世を考えるときに「国家」「政府」など現代的な観念は通用しない、「そんなことは当たり前」という追随的な考え方を根本から考え直そう」と本郷氏は批判し、権門体制論と対立する概念である東国国家論(本郷氏によれば、「東国の武士政権は京都とは別の政治体制であり「国家」とは呼びがたい」とする考え方)を支持している。この点に大きな問題があると考える。
まず、「国家」の定義が曖昧であることが根本的な問題といえる。現代的な観念としての「国家」とは、一般的に近代国家、つまり「国民国家(Nation)」のことを意味する。そして、権門体制論を提唱した黒田俊雄氏自身が「中世の国家はいちおう封建国家なる範疇を基準にして理解するのが通例であるが、そもそも封建国家は古代国家や近代国家に比して果たして国家としての本質を備えているかどうか疑われるほどに、その国家的性格を把えがたい」(黒田1963)と指摘している。つまり、権門体制論でも「現代的な観念は通用しない、「そんなことは当たり前」という追随的な考え方を根本から考え直そう」という意識は持ちえており、現代的な観念としての「国家」とは別の中世に存在した国家を「封建国家」と定義しているのである。
一方、そもそも東国〝国家〟論は「東国に生まれた鎌倉幕府は、独自の特質をもつ中世国家のもう一つの型である」(佐藤2020)とする概念であり、「「国家」とは呼びがたい」どころか、明確に鎌倉幕府を「国家」として位置づけている。つまり、権門体制論も東国国家論も前提として国家(封建国家の意味)の存在自体は認めているのである。このように、権門体制論と東国国家論の争点として、国家概念が通用するか否かをあげるのは筋違いである。したがって、本郷氏の権門体制論批判と東国国家論の解釈は、根本的に誤解しているのか、もしくは実際には理解していながらエンタメを言い訳にした読者に対する欺瞞(本人はそれを「ホラ吹き」と呼んで高く評価しているが)かのいずれかであろう(前述したとおり、本郷氏は近年の研究史を十分に追えており、その部分についての解釈には特段問題点は見当たらない。したがって、本郷氏が実証研究にこだわっていた頃に提起され、かつ本郷氏の専門に直結する学説を誤解しているとは考えづらく、おそらく後者であろうと思われる)。
さらに、この権門体制論と東国国家論に関する問題は、卒業論文のエピソードにも顕著に表れている。本郷氏によれば、高野山と名手荘の関係を調査し、それを仏教全体の構造に一般化することを考えたときに「そうか! だから多くの人は、権門体制論を支持するんだな」と理解したそうである。それにもかかわらず、「権門体制論よりも東国国家論的な立場……をとって」いた本郷氏は、権門体制論に結論を持っていくことを避けたという。ようするに、本郷氏は実証研究により権門体制論の蓋然性の高さを証明したのにもかかわらず、相対的に蓋然性の低い東国国家論を採用したということになる。このような結論の導き出し方は、実証主義とは呼べないだろう。
第四章で実証への疑念について記述されているが、その根幹にはこうした経験があるのではないだろうか。本郷氏は第二章で、卒論執筆以外にも歴史学のあり方と本郷氏が好きだった歴史との間で葛藤があったことをいくつか紹介している。大学院進学後(第三章)は徹底的に実証研究を行っていたようだが、おそらくどこかで「大好きな歴史」に対する心残り、「ほんとうにやりたい歴史は実証ではない」という思いがあったのだろう。もちろん、現状の歴史学が万能ではないのは言わずもがなであり、それを克服する試みは重要である。しかし、本郷氏はそのような歴史学の発展のために新たな研究方法を考えているのではなく、自分の好きなことが歴史学上重視されない、自分の支持する学説が歴史学の本流になっていないという個人的な恨みが動機になっているように思えてならない。
こうした点が、第四章における歴史学への的外れな批判につながっているものと考える。そこで次項では、本郷氏のあげた3つの柱と「ヒストリカル・コミュニケーター」に対する批判点をみていきたい。
歴史学に対する的外れな批判と言行の不一致
1点目の「「一つの国家としての日本」に対する疑問」については、前述した権門体制論批判に通じる部分があるので、そちらを読んでいただきたい。
2点目の「実証への疑念」については、具体例と本郷氏の主張がまったく合っていない。たとえば本郷氏は、国司交替の際に前任者が作成した引き継ぎの史料をあげ、実際にその通りにやっていた国司はいないというところから、史料への疑念が生じるとしている。しかし、国司が「引き継ぎの史料の通りにやっていない」ということがわかるのは、国司が実際にどのような仕事をしていたのかが記されている史料があるから、引き継ぎの史料の内容が嘘であることがわかるのである。つまりこの事例は、相反する2つの史料の信憑性を競っているのであり、ここからは史料に対する疑念は生まれるはずがない。単純実証を含めた実証研究というのは、史料を無批判に受け入れて史料に記されている内容を公表しようという研究方法ではない。史料批判を行い、その史料の信憑性を判断したうえで、史料に基づいた研究を行うのが実証研究である。
さらにいうならば、実際の役人が何をしているのかという実証研究によって、「役人は清廉潔白で適切な仕事を行っている」という理論を否定しているのであり、むしろ実証研究の有用性を証明してしまっている事例といえる。したがって、これらの事例をもとに「実証への疑念」を説いたところで、まったく説得力がない。
また、本郷氏は自身がめざす研究者像を「アクロバティック実証」(本郷恵子氏がその達人だとする)とし、それ以外の多くの歴史学者の研究を「単純実証」とする対立構図を示し、単純実証を批判しているが、これは虚像にすぎない。もちろん、なかには単純実証しかできていない研究者も存在するだろうが、それで満足している研究者はごくわずかであろう。かくいう筆者も単純実証しかできていない研究者の一人なのだろうが、口述試験や入試の面接の際には、先生方からそうした点を批判されている。つまり、少なくとも筆者の所属する大学の教授は、単純実証で満足してはならないと考える研究者である。
ほかにも、本書でも紹介されている歴史学研究会は、単純実証を緻密に行っていくのではなく全体像解明をめざしている学会といえるだろう。このような事例を紹介せずに、単純実証しかできていない事例だけを見せ、あたかも本郷氏だけがそれに警鐘を鳴らしているというような構図を示すことは、読者に対して現状の歴史学の認識を誤らせることにつながりかねない。
3点目の「唯物史観を超えていく」については、本書では唯物史観の問題点がまったく示されていないのが問題であろう。本郷氏はことあるごとに単純実証に終止してしまっている現在の歴史研究を否定し、日本の枠組み、つまり全体像解明をめざす重要性を説いているが、唯物史観はまさにそうした全体像を示すための理論なのである。そのため、唯物史観のどこが間違っているのかを紹介しなければ、「単純実証から離れたいのであれば唯物史観に則った研究をすればいいのでは?」となるだけである。日本史研究者の間で唯物史観が日本史に適用できないことは常識といっていいが、本郷氏がアウトリーチ活動に興味を持っているのであれば、それこそそうした点をわかりやすく読者に伝えることが大切なのではないか。
また、唯物史観に代わる理論として本郷氏は構造主義を紹介しているが、その具体的な内容が記されていないことも同様に問題である。社会学の理論は大きく行為論とシステム論の2つに分類でき、構造主義はシステム論のなかの一理論にすぎない。もちろん構造主義も学説として十分確立されている理論であるから、それを歴史研究に利用することは重要であろう。しかし、ほかにも社会学の理論はたくさん存在しているのであり、そのなかでどうして構造主義が有用なのか、あるいはほかの理論がどうして使えないのかという点について、まったく言及がないのである。したがって、「唯物史観を超えていく」における本郷氏の主張をみる限り、本郷氏が個人的に唯物史観を嫌悪しており、構造主義におもしろさを見出している、という主観的な価値観にすぎず、今後の歴史学にとっての有用性という客観的な評価ではないように感じるのである。
また本書によれば、本郷氏が構造主義に感銘を受けたのは平成17年(2005)から平成20年のことだという。それからすでに15年以上経っているにもかかわらず、本郷氏は構造主義の理論を用いた歴史研究の成果を発表していない(そればかりか、管見の限り平成15年以降、本郷氏は論文を発表していない〈本郷2003〉)。ほんとうに構造主義に有用性を見出しているのであれば、その理論に基づいた研究を進めていくべきであろう。それをまったくしていないのは、言行不一致としかいいようがない。
先ほど指摘したように、本郷氏はここ20年まったく論文を発表していない。歴史に触れる機会は研究以外にもあるから、別に論文を発表していなくても問題はない。それこそ、本郷氏が「ヒストリカル・コミュニケーター」をめざしているのであれば、自身が研究成果を出すことはないのかもしれない。
しかし、である。それならば、「東京大学史料編纂所教授」の肩書きを外すべきである。本郷氏がやりたいこととは別として、本書で語られているように史料編纂所の役割、そこに所属する人の仕事は存在する。それは根本的には歴史研究である。近年広まっている課程博士に対して、本郷氏は「博士号さえ持っていれば研究者として責められることはない」、すなわち「免罪符」であると批判しているが、まさに「東京大学」の権威を振りかざして、学問上まったく認められていない珍説・奇説を紹介してきた(しかも故意犯的に)責任を逃れようとしているのは本郷氏本人ではないか。このような無責任な行動はとうてい許されるものではないだろう。
また、本郷氏は「歴史学という学問の魅力を世間の皆様にわかりやすく伝える」仕事に人生を捧げたいとしている。しかし、実際には歴史学上の学説は「エンタメとして弱い」という理由から珍説・奇説の紹介に振り切っている。これは歴史学と歴史叙述の違いをことさらに強調し、歴史叙述の魅力を世間に伝えているにすぎないのであり、むしろ世間の歴史学に対する忌避感は強まる一方であろう。近年、YouTubeでも歴史動画が増えてきているが、そのなかには一般の歴史好きであるにもかかわらず、丹念に研究動向を追って最新研究を紹介している動画もある。こうした人たちと本郷氏のどちらが歴史学の魅力を伝えられているかといえば、前者だと断言できる。
つまり、本郷氏の問題意識とその解決をめざす動機自体は大切なものであるが、実際の本郷氏の言動はそれとは真逆の方向に行っていると言わざるをえない。ほんとうに本郷氏が「ヒストリカル・コミュニケーター」をめざしているのであれば、現在のやり方では成し遂げられないので、その方法を改めて考え直すべきである。
おわりに
最後に、本書を一読して、本郷氏のなかに一貫しているであろう潜在意識の存在について言及しておきたい。それは、「エリート意識」である。本郷氏は古代至上主義・法学部至上主義などの批判を通じて「エリート意識」について否定的な立場をとっている。しかし、潜在的には本郷氏も「エリート意識」を持っているのではないかと感じられるのである。
たとえば、本郷氏は中学受験界隈では「御三家」の1つとされる武蔵中学から、日本の大学の最高峰である東大に進学している。もちろん、本郷氏にも生きづらさを感じる経験があったのだろうが(本書でもいくつか事例が紹介されている)、少なくとも客観的にエリートコースの学歴といえる。これ自体はエリート意識とはいえないが、このようなエリートコースを辿っているにもかかわらず、「現在に至るまで変わらないのだが、私は自分の知力というものを肯定したことがない」「「自分は究極的には頭が悪い」という劣等感」という認知をしている(あまつさえ平気で文章として書いてしまう)。ここには、武蔵から東大に進学した人間の「頭が悪い」のであれば、読者である我々の知力はどうなってしまうのだろうか、という想像力がまったく働いていないようにみえる。
もちろん、当時はその学校しか知らないから、そのなかでの自分の立ち位置が自分に対する評価になってしまうのは仕方のないことである。しかし、成長してさまざまな環境に身を置き、さまざまな経験をしていくなかで、そうした基準が偏った見方であることを認識するものである。ましてや、「ヒストリカル・コミュニケーター」と称してアウトリーチ活動に邁進していくつもりであるならば、日本の世間がどれほどの学力を持っているのかを認識する必要があるだろう。学校教育においては、まず教育目標があるのは当然だが、その目標を達成するために児童生徒観(現状の児童生徒の実態)・教材観(その児童生徒に合う教材研究)・指導観(教材の使用方法など)の3つを考える。
このように、伝えたい内容はもちろんのこと、伝える対象のことを理解しなければ、適切に伝えることはできない。この点、たとえば令和2年(2020)度の大学進学率が54.1%であることを踏まえるならば、前述のような自分をことさらに卑下するような発言は出てこないのではないだろうか。「自分はエリートでありほかの人より優れている」というエリート意識はもちろん避けるべきだが、自分が属している〝上〟の世界のなかで自分を卑下しているのは、そこに所属していない人々を捨象しているという意味で、広義のエリート意識といえるだろう。
さらにいうならば、これまで指摘してきたように、そもそも本郷氏の問題意識が虚像にすぎなかったり、問題意識自体は的を射ているが行動がともなっていなかったりと、本郷氏に矛盾している点が多くみられることは確かである。ここからは、本郷氏が記している問題意識は、あくまで建前にすぎないのではないかとも思えてきてしまう。本音では、現状の歴史学では自分は勝てない(と勝手に思い込んでいる)ので、自分の土俵に近づけるために歴史学のあり方を批判し、(本郷氏より確実に格下である)〝世間〟に向けて学問知を「授けてやろう」という優越感に浸りたいだけなのではないか。
さすがにこれは私の穿ちすぎであると信じたいが、やはりこれが事実なのではないかという一抹の不安が存在するのである。そして、私自身アウトリーチ活動に携わっている身として、こうした〝上から目線〟にならないように気をつけていこうという自戒の念を持って、本稿を閉じたい。
【参考文献】
黒田俊雄「中世の国家と天皇」(家永三郎ほか編『岩波講座日本歴史』第6巻中世2、岩波書店、1963年)
佐藤進一『日本の中世国家』(岩波書店、2020年)
徳橋曜「イタリア・ルネサンス」(金澤周作監修『論点西洋史学』ミネルヴァ書房、2020年)
本郷和人「霜月騒動再考」(『史学雑誌』第112編12号、2003年)
文部省編『尋常小学国史』上巻(ノーベル書房、1970年)
【付記】 本稿は河内守義親「書評 本郷和人著『歴史学者という病』」(『月報街を歩く』#3、ゆまにすと、2023年)を再録、一部訂正したものである。







