本書は『羽柴秀吉一門』というタイトルだが、目次を見ればわかるように、秀吉本人の出自、そして秀吉が「天下人」となる前に嫡男であった石松丸秀勝・次秀勝(秀吉には「秀勝」と名乗るとされる子・養子・甥が合計3人存在するため、ここでは幼名を付して区別する)についての論考など秀吉本人に関する論考が半分を占める。
そのため、本書は秀吉一門に興味を持つ人だけでなく、羽柴秀吉という人物そのものに興味を持つ人にとってその基礎的情報を得るために非常に有用な書となっている。ではまず目次を見ていきたい。
序にかえて
総 論 羽柴秀吉一門の研究 黒田基樹
第1部 秀吉の出自と石松丸秀勝・次秀勝
Ⅰ 天下人秀吉の出自と生い立ち 跡部 信
Ⅱ 尾張中村雑考 横地清
Ⅲ 長浜で早死した太閤の長子 桑田忠親
Ⅳ 朝覚秀勝の再検討 山本順也
Ⅴ 信長在世期の御次秀勝をめぐって 尾下成敏
Ⅵ 御次秀勝と生母養観院 高木嘉正
第2部 羽柴秀次とその一族
Ⅰ 織豊政権と三好康長――信孝・秀次の養子入りをめぐって 諏訪勝則
Ⅱ 八幡山城主秀次の統治 太田浩司
Ⅲ 豊臣秀次 三鬼清一郎
Ⅳ 関白秀次の文芸政策 諏訪勝則
Ⅴ 豊臣秀次事件と金銭問題 遠藤珠紀
Ⅵ 羽柴秀勝の入国と支配 平山 優
Ⅶ 三好吉房 山田彦郎
第3部 羽柴秀吉一門(次秀勝・小吉秀勝・秀保・常閑)文書集 黒田基樹編
本書で必読なのが総論であることは言うまでもないだろう。羽柴秀吉という人物の基礎情報を考えるうえで重要な内容となっており、系譜関係などの推定をする際に、どのような史料を用いてどのように推定するのかという過程もよくわかるようになっているので、史料批判の学習という意味でも秀吉に興味がない人にもお勧めできる総論となっている。
またそのような意味では、数ページではあるが「序にかえて」もお勧めしたい。「序にかえて」では、どのような基準でどの論考を載せたのか、またきょうだい研究の重要性や基礎史料集成の進んでいない状態での今後の研究進展のために発給受給文書を集成した事情などが書かれており、研究というのはこのように進展していくのだと、とても興味深いものとなっている。
さて、収録されている論考について紹介していこうと思う。
本書の第一部のなかで興味深いのは、いわゆる石松丸秀勝(朝覚秀勝)をめぐる問題だろう。石松丸秀勝とは、天正4年10月に死亡したことが確認される秀吉に関係する人物の事である。しかし、この人物が石松丸であるのか、秀勝であるのか何歳で死亡したのかなどについては確定していない状況である。
まず、山本順也「朝覚秀勝の再検討」はこの人物を位牌や供養塔、墓の調査、供養塔のある妙法寺と豊臣秀次の菩提寺である瑞龍寺との関係性などを検討して秀吉の養子であり秀次の弟ではないかとする。山本氏はこの人物を位牌の戒名から朝覚秀勝と呼び、竹生島(滋賀県長浜市)奉加帳に現れる石松丸については秀吉の近親者である以上のことはわからないとしている。
一方、桑田忠親「長浜で早死した太閤の長子」では秀吉の長浜領統治時期の奉納記録である竹生島奉加帳を元に石松丸を秀吉の嫡子と推測し、この奉納から近い時期に亡くなった本光院朝覚居士(秀勝という名で伝わる)と同一人物ではないかと推測している。
さて、ここにはもう1つの論点がある。竹生島奉加帳に2回登場する南殿は秀吉の別妻あるいは妾なのか、また石松丸の実母なのかというものである。
黒田氏は、本光院朝覚居士(大禅定門)という石松丸秀勝の戒名、そして伝わる秀勝という実名から石松丸秀勝を元服済みと推測し、さらに南殿を竹生島奉加帳の記載順と殿という呼称からある程度の身分がある女性でかつ石松丸秀勝の生母と推測する。これらの推測はさらに秀吉の高台院との結婚などに及んでいくのだが、最新の見解であるためにぜひ本書で確認して欲しい。
本書の第一部では他に横地清「尾張中村雑考」もなかなか興味深い話を伝えている。
例えば現在、秀吉出身地とされがちな中村公園(豊国神社、愛知県名古屋市)は上中村にあり、秀吉の出身地と言われることの多い中中村にあるわけではない。これはどうやら出身地選定時に土地を用意できたかどうかという事情によるらしい。そのような、ともすると見過ごしそうになる、秀吉当時ではないが現代では収集しづらい少し昔の聞き書きなどが大量に含まれている論考であり、参考になる。また跡部信「天下人秀吉の出自と生い立ち」は、同時代に近い秀吉の出自に関する史料をイエズス会記録や看羊録まで含めて網羅的かつ淡々と集め、その共通点を検討している。
私は秀吉に関心があり、歴史学に関心が向くまでは数年間ネット掲示板の秀吉の出自に関するやりとりを見ていた時期があったのだが、そのようなやりとりを見るより、この論考を読むだけでそこで展開されていた話の大半の根拠を知ることができ、余分な妄想を聞くことを排除することもできたのだなと思えた。
次秀勝以降の論考そして第二部は単体で研究の進んでいる羽柴秀次を除いては発給文書の収集など秀吉一門の基礎研究に資する論考が多く、それぞれの人物の基礎研究の到達点といえるものが採録されている。
研究の進んでいる羽柴秀次に関連しては、一時期その養父であった三好康長、そして三好康長に影響を受けたものかもしれない秀次の文芸政策についての諏訪勝則の論考「織豊政権と三好康長――信孝・秀次の養子入りをめぐって」と「関白秀次の文芸政策」が興味深い。両論考を通してみると、三好一族のなかで文芸に秀でた三好康長が織田から羽柴に移り変わるなかで果たした役割、そして文芸活動を通じて秀次(三好孫七郎信吉)が本能寺の変直後の時期から人脈を広げていく姿が確認できる。
とくに、天正10年6月に、正親町天皇と思われる人物が発句を詠む里村一門の連歌会の亭主に、15歳の秀次なっているという記録には驚いた。そして、文芸に秀でた三好康長の影響を受けたうえで成長し、豊臣政権の有力者でありまた公家として上昇していった秀次が、独自の文芸ネットワークを広げていく姿も印象的であった。文芸を嗜むことと文芸を主導することは異なるように思えるので、秀次の事績を文芸政策という面から考えるのは重要であろう。
また、本書の編者を務める黒田氏は『羽柴秀吉とその一族』(KADOKAWA、2025年)という本も刊行している。本書がこれまでの研究をまとめたものであるのに対し、『羽柴秀吉とその一族』は本書をふまえたうえで、それ以降の研究で明らかになった事実や黒田氏の見解をまとめたものになっているという違いがある。秀吉に関心のある人、また研究そのものに興味がある人には両書ともに読むことをおすすめしたい。








