まずは、不思議なご縁によって記事を書かせていただく運びとなったことに感謝したい。この記事を作成した理由は著者がガンダム好きであるという理由だけではない。遺伝子工学の倫理的問題、人権問題について、著者の考えをまとめたいと考えたからである。

この記事を閲覧するにあたって注意していただきたいのは、あくまで私見にすぎないという点だ。くわえて、著者はまだまだ勉強中の身であるし、社会学は専門外であることを留意してほしい。

また、この記事の参考資料として機動戦士ガンダムSEEDシリーズを用いるため、作品の根幹にかかわるネタバレを含んでいる。今後機動戦士ガンダムSEEDシリーズを見る予定がある方は、この記事を読まずにブラウザバックすることを推奨する。

この記事によって遺伝子工学の議論に興味を抱いてもらえれば幸いだ。

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人類は技術を発展させ、ついに遺伝子工学を誕生させるに至った。遺伝子工学はさまざまな遺伝子組み換え生物の作成に成功し、現代の医療や食品など幅広い分野で用いられつつある。それらは成果をあげているが、同時にその技術の存在や適用範囲を巡って議論が発生しているのが実情である。遺伝子工学は技術的な問題はもちろんのこと、倫理的な問題も多く抱えている。とくに、人間に遺伝子工学を適用した場合、優生思想に基づいた遺伝子の選別や操作、複製が行われる可能性がある。すでに、技術的には人への応用が可能である以上、この問題についての再検討を行う必要がある。

この記事では、遺伝子工学が人間に適用された場合に発生すると考えられる社会への影響の例として「機動戦士ガンダムSEEDシリーズ」を取り扱っていく。この作品を通して、倫理、優生思想の歴史の2つの視点から考察し、遺伝子工学について検討したい。なお、便宜上、劇中と同様に機動戦士ガンダムSEEDの用語であるコーディネーターをゲノム編集を受けた人類、ナチュラルのことをゲノム編集を受けていない人類の意味で用いる。

遺伝子工学が人間に適用された場合、もっとも議論の対象となりえるのが、能力格差の発生であろう。ゲノム編集は、人間の身体能力や知能、見た目に干渉することが可能である。これによって、遺伝子改造によって人工的に才能を手に入れることとなった子供たちが大きく社会に貢献し、自身の才能を生かして活躍の幅を広げることは容易に想像できる。そして、このような社会において、積極的優生学が復活していくことだろう。積極的優生学によって、多くの人間がゲノム編集を受ける社会。そこには、大きな格差と対立が発生する。

その対立を生々しくも的確に描写した作品として、テレビアニメ作品「機動戦士ガンダムSEEDシリーズ」を例にあげよう。

機動戦士ガンダムSEEDの世界では、遺伝子改造が一般的となった世界だ。そこでは、遺伝子改造を受けた人類であるコーディネーターと自然に誕生したナチュラルが存在しており、たがいに対立している。コーディネーターは人間の潜在能力を極限まで引き出した人類であり、その能力を生かして社会で大きな活躍をする。しかし、多数派であるナチュラルによる迫害を受けてしまい、コーディネーターは宇宙に移住した。その際に、コーディネーターの国家であるプラントとナチュラルを中心とする地球連合の対立構造が明確になった。その後、コーディネーターが居住する宇宙コロニーに核ミサイルが撃ち込まれたことをきっかけに全面戦争へと発展するというのが物語の設定である。

作中で、コーディネーターは優れた能力を持つものの、少数派であり、ナチュラル側から見れば異端者そのものであった。ナチュラル側からみれば、人間の才能を極限まで引き出した存在と同じ環境で競争を行わなければならず、人工的に才能を持った存在ばかりがもてはやされることに不満を持つのは当然であろう。くわえて、コーディネーターの登場によって、才能があることが当たり前になってしまうと、本来才能を持っていたナチュラルが思うように活躍できないということも考えられる。もちろん、遺伝子のみが優れた人間を生み出すわけではない。しかしながら、ゲノム編集技術には多額の資金が必要となる。そのような高額なゲノム編集技術を受けることができるのは、一部の富裕層である以上、子供を育てる環境を整える財力を持っているとみるのが自然であろう。

従来の貧富の差によって発生していた教育格差や貧困の連鎖にくわえ、ゲノム編集技術によるコーディネーターの登場によって、富裕層と貧困層の格差は大きくなることが予想される。企業の競争によってゲノム編集の価格が低下し、格差はいずれ解消されていくというのは、大きな誤りである。

実際には、ゲノム編集技術はつねにアップデートを重ね、世代を経るごとにより安全に、より高性能な人間を作り出すことになっていく。そのため、貧困層がその恩恵を受けられるようになった頃には、富裕層はそれ以上の高度なゲノム編集を受けられるということになってしまう。格差は縮まるどころか、拡大していくことだろう。つまり、人間の遺伝子情報が商品となり、パソコンのように将来の子供が最新の遺伝子情報に更新されていくのだ。

その点を考慮すると、コーディネーターが作中でナチュラルから疎まれたことには納得がいく。

そして、問題が発生するのはナチュラルだけではない。コーディネーターも同様である。

本作の主人公であるキラ・ヤマト(以下キラと省略)は、コーディネーターであり、優れた身体能力と知能を有していた。キラは自身が生活していた中立国オーブの宇宙コロニーがコーディネーター国家プラントの軍であるザフトによって襲撃され、戦闘に巻き込まれてしまう。戦闘後、彼はナチュラル側である地球連合の軍艦に保護されるが、コーディネーターとして戦う能力があることを理由に、戦うことを強要されている。

ここで重要となるのは、キラ自身に戦う意思が存在しないことである。民間人でありながら、コーディネーターとして能力が高いという理由で戦わせる。ここに、コーディネーターの人権の問題点が浮かびあがる。ナチュラル側がコーディネーターを道具として扱う可能性だ。コーディネーターは、遺伝子を操作されて誕生する。劇中では、おもに両親が望むような子供となるように設計される。このように、子供を遺伝子操作するかどうかは個人の自由であった。しかし、このゲノム編集技術は、国家主導によって国家のために使用される可能性もある。この場合、国家にとっての便利な道具としてコーディネーターが誕生する。例をあげるとすれば、軍事利用が現実的であろう。また、有事の際に、国家主導ではないにしろ、ゲノム編集技術の発展が社会に求められている役割を果たすためのコーディネーターをつくることになる可能性はきわめて高い。これは、コーディネーターの発生によって、ナチスの優生思想と全体主義的風潮が復活すると言っても過言ではない。

コーディネーターは自らが望んでコーディネーターとなったわけではない。自分が望む才能ではなく、社会や親、国家が望んだ才能が与えられるのである。そのうえ、その遺伝子的特性に基づいて、社会的役割を与えられた場合、コーディネーター個人の選択の自由を奪いかねない。

「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」では、キラと敵対したプラント最高評議会議長デュランダルが争いのない社会を実現するために掲げた「ディスティニープラン」がそれに当てはまる。その内容は、遺伝子によって個人の才能と資質を判断し、それに合った職業や役割に従事させ、最終的には遺伝子に存在する好戦的な要素を完全に取り除くことで、管理された平和な社会を目指すものである。

しかし、このプランの根本的な問題点は、社会的役割を先天的な遺伝子で決定することである。コーディネーターとナチュラルの両方とも、個人の選択の自由はない。また、後天的な努力によって職に就くことは不可能である。

こうした社会的な役割を果たすことを目的につくられたコーディネーターとして、SEEDシリーズのメインヒロインであるラクス・クラインがあげられる。

「劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」では、彼女が管理された人類社会を導く存在として設計されたことが明らかにされる。彼女は、映画本編で敵役から本来の役割を果たすように求められたうえ、遺伝子的に相性が良いとされる敵役との婚姻を迫られるが、それを拒否した。

ディスティニープランやラクス・クラインの例は、人間が人間自身を改造した先にある倫理的な問題を抱えている。劇中で、デュランダル議長は悪役として登場するものの、彼はゲノム編集を行うことで、人類の闘争本能を乗り越えようと全てを管理するディスティニープランを実行しようとした。ラクス・クラインは管理された社会の統治者としての役割を求められた。どちらにも共通しているのが、自分の持つ能力によって他人に生き方を強制されるという点だ。そして、能力はゲノム編集によって他者が与えることができる以上、キラの例のように実力主義・能力主義の社会においては、それが正当化される場合がある。

こうした例は、コーディネーターの人権を考えるうえで非常に重要なものとなる。すなわち、人権の中にある自己決定権がゲノム編集によって損なわれるという点である。

また、この話はコーディネーターのみに限った話ではない。クローン人間にも当てはまる。

クローン人間も優れた遺伝子をコピーした存在である。たとえば、身体的に優れた人間の遺伝子をコピーしたクローン人間がいたとする。そのクローン人間を生み出した人間は、当然その遺伝子に沿った活躍を期待する。クローン人間が自らの意思でそれに反抗しようとすれば、処分か教育が行われることだろう。コーディネーターとクローン人間の両方に共通することだが、遺伝子にそった活躍を行うように教育してしまうと、彼らの選択の自由を奪い、人権を侵害してしまう。それは教育ではなく、テロリストが少年兵に行う洗脳となんら変わりはない。

また、こうした遺伝子工学は失敗するリスクもある。狙った遺伝子以外の改変や遺伝子の不完全なコピーが発生する恐れがある。そして、問題となるのは、その際の保障を誰が行うのかといった点である。この問題のやっかいなところは、遺伝子工学を用いてゲノム編集やクローンを行う際に、生まれる人間自身の了解を得ることが不可能なところだ。そのため、成長してから自分に不利なゲノム編集やクローンを行われたと言って、後から両親や遺伝子工学を自らに行った人物や団体に対して、損害賠償請求を行うことができてしまう。自分の容姿や能力に不満を持てば、今までは不可能であった自身の遺伝子に対する責任を求めることができるのだ。そして、遺伝子工学による損害が認められない場合は、現在の人権の根本的な根拠となる自己決定権が揺らいでしまうことになる。コーディネーターとクローン人間は、このような制度上のジレンマを抱えていると言えるだろう。

そうして、遺伝子工学が失敗したことによって誕生した「失敗作」の悲劇を象徴しているキャラクターとして、機動戦士ガンダムSEEDに登場する敵役であるラウ・ル・クルーゼを例にあげたい。

彼は、コーディネーターの開発に多額の資金提供を行っていた人間のクローンとしてつくられた。しかし、成長後に彼の遺伝子に欠陥が見つかり、寿命が短く老化が通常の人間よりも早く進行してしまう障害を抱えることとなった。その後、彼は失敗作とされて見捨てられたことによって、不完全な自分をつくった「人の命さえも自由に操作できるという思いあがった人類の業」を憎み、世界そのものも憎むようになっていく。

彼は、遺伝子工学と人間の野望の犠牲となった存在であるといえる。彼にとって、不幸だったのは、遺伝子工学の失敗に対する救済措置が十分ではなかったことである。彼のように、目的に沿わない遺伝子を得たことによって、親や国家に見捨てられるコーディネーターとクローン人間が発生し、それが社会現象となる可能性も存在する。

もちろん、人間に対する遺伝子工学がもたらす利点も明確に存在する。遺伝子に起因する病気をなくせることや、エイズや障害を抱えたことで子供が持てなくなってしまった夫婦や同性パートナーを持つ人々にも子孫を残す選択肢を与えることができるだろう。

しかしながら、私は得られる利益に比べ、リスクの方がはるかに上回るのではないかと考える。

遺伝子を書き換えるあるいはクローンを行うことで、人間の能力は高まるかもしれない。だが、それが安全に実行できるようになるまでにいったいいくつの命を犠牲にすればいいのだろうか。遺伝子工学に失敗し、「失敗作」となった遺伝子を残さないために、また書き換えるのだろうか。はたして、遺伝子の「失敗作」と「傑作」の基準はどうするのだろうか。

遺伝子工学の発展は優生思想を確実に復活させるだろう。そして、この2つが結びついたとき、多くの人間がその犠牲になる。こうしたさまざまな危険性を抱える遺伝子工学には、慎重に取り組む姿勢と規制が必要である。

規制ばかりでは技術が進歩しないのは事実だが、得られる利益と発生するリスクがあまりにも大きすぎるのが問題なのである。遺伝子工学は優生思想の根幹となる人間のさまざまな格差と差別意識を助長するばかりか、生み出した者と生み出された者の対立さえ、生じる可能性がある。機動戦士ガンダムSEEDの世界は、もはやフィクションではなくなりつつあるのだ。実際に、2018年に中国で人類史上初となるゲノム編集によって遺伝子操作が行われた双子の女の子が誕生した。彼女たちの出生は、彼女たちの今後の人生に大きな影響を与えることは間違いない。

現在、人間のゲノム編集については、受精卵の基礎研究にとどまっている。しかし、いずれゲノム編集が人間に適用される時代は近い。その際に発生するのは、積極的優生思想による遺伝子エリートと遺伝子の格差・差別である。こうした場合を想定し、ゲノム編集の影響についての人文・社会学的な視点から、議論を活発化させることが重要である。

同時に、ゲノム編集は悪魔的な魅力を持っているが、遺伝子は人間の能力を決める一部であり、その人間を構成する一要素にすぎないということを忘れてはならない。

最後に、ラウ・ル・クルーゼがキラに対して放った言葉を引用させていただく。

「受精卵の段階で、人為的な遺伝子操作を受けて生まれた者……あらゆる容姿、あらゆる才能が、すべて金次第で自分(の子供)のものになる。まるでアクセサリのように。人は、何を手に入れたのだ!? その手に! その夢の果てに! ……よりよきものをと人は望んだ。そしてその結果何を生み出した? 新たな偏見、新たな差別、新たな対立――そして今の、いつ果てるともしれないこの争いだ。そしてねたみ、憎み、殺し合うのさ!」

ラウ・ル・クルーゼの言葉は、我々の進歩主義に対する批判である。遺伝子工学という生命の根幹を左右する技術を手にした今こそ、技術の扱い方について再び考えるときが来ているのだ。

【参考文献】
アラン・コールマン「私のクローン人間否定論」(石井陽一訳 ジャスティン・バーリー編『遺伝子革命と人権~クローン技術とどうつきあっていくか~』2001年)44頁―49頁
アラン・ライアン「優生学と遺伝子操作」(石井陽一訳 ジャスティン・バーリー編『遺
子革命と人権~クローン技術とどうつきあっていくか~』2001年)192頁―201頁
ヒレル・スタイナー「銀の匙と金の遺伝子:才能の格差と配分の公正」(石井陽一訳 ジャスティン・バーリー編『遺伝子革命と人権~クローン技術とどうつきあっていくか~』2001年)204頁―224頁
ジョナサン・ウルフ「ブリキの遺伝子と補償」(石井陽一訳 ジャスティン・バーリー編『遺伝子革命と人権~クローン技術とどうつきあっていくか~』2001年)225頁―233頁

【参考資料】
アニメ機動戦士ガンダムSEED
アニメ機動戦士ガンダムSEED DESTINY
劇場版アニメ機動戦士ガンダムSEED FREEDOM
「世界初のゲノム編集赤ちゃん」の正当性主張 中国科学者 BBC NEWS JAPAN(最終閲覧日2025/07/01)https://www.bbc.com/japanese/46381383
科学と文化のいまがわかるサイカルS E N C E & C U LT U R E NHK(最終閲覧日2025/07/01)https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2018/12/story/special_181203/