昨今の街中で、「親子愛に感動した」という言葉は、たしかによく聞くかもしれない。
アニメ関連でいえば、大人気を誇っていた『鬼滅の刃』でも『推しの子』でも、『クレヨンしんちゃん』の映画ノベライズでも。
コロナ禍のことであるが、当記事の筆者自身が声優ファンであり、また身の回りに声優ファンが多いためだろうか、アニメファンの間で大人気な声優の水瀬いのりさんの新曲のMV(ミュージックビデオ)が公開され(水瀬2020)、私の周りでは話題になった。親子愛を感じさせるようなものであったし、彼女の楽曲の歌詞などを見ても、それを思わせるような内容だったのを覚えている。どうも、2020年代周辺の若者がこういったストーリーを好むような気がする。
この楽曲が話題になった際、どこか、2000年代生まれの学生さんたちが、非常にこの曲に心を打たれていた気がする。この楽曲はまさに2020年リリースのものだが、このあたりからサブカルチャー系の音楽その他が、どこか流れが変わっていた気がする。求められるものが変わったのかもしれない。そのような時代の空気をなんとなく感じたのを覚えている。もしかすると、コロナ禍中の社会不安がそうさせたのか。これから紹介する書籍を読むにあたり、この楽曲を思い出したので最初に紹介した。
筆者の体感であるが、コロナ禍中、コロナ禍後にそのようなものが好まれたと感じる。
さて、三宅香帆『「夫婦」不在社会』(講談社、2026年)は、そんな問題を取り上げてくれるものであった。
「社会で親子愛が語りやすくなればなるほど、そこから抜け落ちるものも、あるのではないだろうか」と著者の三宅氏は述べる。つまり、パートナーのあり方を語るのが難しい世の中になっているということである。
本書は、そんな問題を、今話題の文芸評論家である三宅香帆氏が捉えようとしたものである。先に述べておくと、三宅氏はあとがきにて本書の裏コンセプトは「村上春樹論」であると述べている。これまで様々な文学を評論してきた三宅氏らしいものになっている。
ゆえに本書は、基本的には様々な文学書籍を引用して、パートナーに関する物語、夫婦、女性論を述べている。
後述するが、本書の面白いところは、文学論のようでありながら、戦後社会の家族、家父長制の問題、夫婦、そもそもの「父」という問題を問いかけており、翻せば「父」に対する母のあり方、戦後社会の女性史ともいえることである。
さて、この言論媒体ゆまにすとは、比較的日本史・戦国史の内容に偏っている。そのために読者に対してもそういった事例にたとえたほうがわかりやすいであろうし、また筆者としてもそれに比較したい事例があるために、黒田基樹『羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩』(平凡社、2017年)も引用した話をしていきたい。これには、著者である三宅氏への情報提供も込めている。
『「夫婦」不在社会』の構成は、次のようになっている。
まえがき 街にいると親子愛は語られやすいけれど
第1章 「夫婦」と親子
第2章 「夫婦」と沈黙
第3章 「夫婦」と労働
第4章 「夫婦」と時間
あとがき
大まかには村上春樹氏の著作をベースに検証しつつ、小説だけでなくその他のドラマ作品やアニメ作品などの事例もとらえている。
まず、三宅氏は夫婦が不在になりやすい、父が不在になりやすい現代のフィクション観を問題提起する。
本書がおもしろいのは、戦後の家族観念、父のあり方、「夫婦」のコミュニケーションの差異、そして「公」に時間を奪われてしまう現代状況への指摘であろう。本記事筆者の私は、普段あまり小説を読めていないので、ここまで戦後から現代社会を、まして村上春樹の作品を中心に添えて掘り下げることができるのかと、驚かされた。
逆に言えば、大変大きな問題を提起しているような気がして、村上春樹論だけでこの問題を考えるべきではなく、もう少しサンプルを集める必要があるのではないかと感じた。
とはいえ、非常に重要な指摘が各ページに存在する。第1章の終盤、三宅氏の「親になるというタテ方向の「責任」問題と、夫婦が向き合うというヨコ方向の「関係」の問題を、同時に描くことは、そんなにも難しいのだろうか?」と、また疑問をあげているところには、大変関心を抱いた。
そこには、父の「不在」という問題が浮かび上がってくる。実際に父親を描くことは難しいと表現された事例も本書に出てくる。いきすぎた父性、という言葉すらも出てくる。
筆者が、本書を読んでいて浅井茶々を非常に想起した箇所がある。
村上春樹の著作のなかで、「眠り」という作品があると三宅氏は述べる。この作品は、家父長制のなかで苦しみ続ける妻を描くとされる。
主人公は歯医者の妻で、30歳を迎えて突然眠れなくなる。17日間も。夫と子どもは、彼女が眠らないことに気づいていない。
夫を気にして食べるのをやめてしまったチョコレートを食べて、自分の人生について思いをはせる。それ以前、夫はしばしば、彼女をうっすらと見下している様子が見られるという。彼女の車を見下したり、教養がないことを「仕方ないさ」と言いつつ見下す。そんな夫と彼女には上下関係があり、逆にいえば夫に寝顔を見られていると守られているようであるという。そんな父のような夫と結婚した。
しかし、あるとき彼女は夢を見る。やせた老人が水を足元にかける。悲鳴をあげようとしたが出ない。何かが彼女のなかで溶けるような感覚になる。そしてそれ以後、彼女は眠れなくなるのだ。
その夢を友人に相談し、友人から体験談を聞くことを経て、それ以後彼女は家父長制の家から疎外された感覚を得る。そして彼女は、馬鹿にされた車に乗って夜のドライブをしていく。
具体的に話していくと長くなってしまうのでだいぶ省いたが、大まかにこのような話である。
【参考文献】
水瀬いのり「ココロソマリ」(作詞:水瀬いのり 作曲:櫻澤ヒカル 編曲:白戸佑輔、2020年2月5日リリース、https://youtu.be/5XmRVuJMsyY?si=N4v7J7dl6rYqcCty )

