6月8日、駒澤大学駒沢キャンパスにて戦国史研究会第524回例会が開催された。報告者は坂口環氏で、論題は「関ヶ原の合戦前における細川忠興の政治的立場について」である。
慶長4年(1599)10月、細川忠興に身上問題が発生し、翌月に忠興は徳川家康に起請文(契約を破らないことを神仏に誓う文書)を提出して従属を表明している。この一連の動向について、従来は同年9月に発覚した家康暗殺計画に忠興が加担したことを、家康から咎められた結果とされてきた。今回の報告では、こうした研究状況を踏まえ、改めて史料を丹念に追いながら、忠興が家康に服従する過程を詳細に検討したものとなっている。
まず、起請文の提出のみで忠興が許されていることを踏まえ、忠興は家康暗殺計画には加担していなかったとしている。また、従来は前田利長・加藤清正に上洛禁止命令が出ていることを踏まえ、忠興にも同様の措置がなされたと解釈されてきた。しかし坂口氏によると、史料からそうした事態は確認することができず、むしろ家康から上洛を求められていることがうかがえるとしている。
そのうえで、家康は大坂城入城にともなって置き目(規則)を改めており、これにともなって上洛・従属が求められたと評価している。忠興には思慮深い側面と浅はかな側面があり、今回は後者の側面が表出して上洛を怠ったために身上問題につながったのではないかという見通しがなされた。
ただし質問時間には、史料の解釈のなかで、主語について報告者とは別の見方もできるのではないかという指摘が聴講者からあがった。日本語は主語を省略しがちな言語なので、とくにていねいに解釈する必要があるだろう。
いずれにしても、報告者が指摘しているとおり当該期の細川氏に関する研究はあまりない。今回の報告は、関ヶ原の戦い直前の政治動向を解明するうえで非常に意義のあるものといえるだろう。

