吉川弘文館、2024年9月刊、四六判、268ページ、2970円、ISBN:9784642068949

本文は、2024年に吉川弘文館より刊行された東海の中世史シリーズの4冊目である、水野智之編『戦国争乱と東海の大名』の新刊紹介である。このシリーズは鎌倉期から安土桃山時代にかけての東海地方(現在の静岡・愛知・岐阜東部・三重県)の歴史を描いたもので、今回紹介する4冊目は、15世紀末から永禄3年(1560)の桶狭間の戦い直前までの東海地方の歴史を扱った書籍である。

本書の目次と内容紹介

まず、本書の目次と、それぞれの項目の大まかな内容を紹介する。目次は以下のように、地域ごとの通史と、宗教・武家文芸に着目した項目が立項されている。

序 戦国期の東海地域―「東海」成立の諸前提― 水野智之
一 戦国期の尾張 水野智之
コラム1 将軍偏諱の授与にみるアイデンティティ 小久保嘉紀
二 戦国期の美濃・飛騨―斎藤氏四代と周辺勢力― 石川美咲
コラム2 和歌俳諧にみる歌枕へのまなざし―美濃国不破の関を例に― 上嶋康裕
三 戦国期の三河―松平・戸田氏と吉良氏の動向 小林輝久彦
コラム3 戦国期地域社会の戦乱と安穏―三河普門寺の三界万霊供養― 服部光真
四 戦国期の駿河・遠江・伊豆 鈴木将典
五 戦国期の伊勢国・伊賀国・志摩国 太田光俊
コラム4 多度神宮寺と長島一向一揆…石神教親
六 戦国期東海地域の宗教権力 安藤弥
七 戦国期東海地域の武家文芸 尾下成敏

一では、尾張国の情勢が叙述されており、応仁の乱後における尾張守護斯波氏の弱体化と、守護代である織田氏の台頭が主要なテーマとなっている。とくに、本節後半では、のちに織田信長を輩出した織田弾正忠家の台頭過程に焦点が置かれており、信秀(信長の父)の軍事的動向とそれにともなう美濃斎藤氏・駿河今川氏との提携・対立過程がよくわかる。

二では、おもに美濃斎藤氏(後斎藤氏)を軸とした美濃国の情勢が叙述されており、いわゆる「国盗り」の実像が描かれている。加えて、義龍の一色改姓などの対外政策や周辺大名から見た斎藤氏の評価にも触れられており、中部地方における美濃の歴史的影響がうかがい知れる内容となっている。

三では、三河国の情勢について、三河の代表的国衆である岡崎松平氏と田原戸田氏、そして足利一門の西条・東条吉良氏を中心に叙述されており、三河国内で連帯・対立していた国衆の動向や、今川氏・織田氏による外圧に突き動かされ、やがて両氏の争いに巻き込まれていく河国衆の姿が描かれている。

四では、駿河今川氏が戦国大名化していく経緯と、その家宰であった伊勢宗瑞(北条早雲)が今川氏と提携しながら伊豆・相模へ進出していき、やがて別個の戦国大名(いわゆる小田原北条氏)として独立する過程がテーマとなっており、おもに今川氏の遠江・三河への進出と「今川仮名目録」制定などの領国支配体制が紹介されている。

五では、戦国期の公家である山科言継の日記『言継卿記』の記述に着目して、北畠氏などの伊勢・伊賀・志摩国の諸勢力について概説した内容となっている。言継は天文2年・弘治3年に尾張・駿河方面へ下向するにあたり、伊勢国を通過している。その記述内に登場する交通路の記述や伊勢・志摩国人の姿からは、通常の概説書とは一味違う学びが得られる。

六では、東海地方における浄土真宗などの宗教勢力の動向に着目し、臨済宗から山岳系神祇信仰まで、それぞれの宗派の展開について叙述されている。東海地域は、富士信仰や三河一向一揆など特徴的な信仰が多く存在していた地域であり、その多様性が窺い知れる構成となっている。

七では、和歌と連歌を中心とした東海地域の文芸史が叙述されており、今川氏歴代当主と和歌の関わりや、それ以外の地域における武家文壇の展開が叙述されている。加えて、蹴鞠や茶の湯の展開についても触れられており、京都から東海への文化の伝播過程がよくわかる内容となっている。

本書の書評

以下、筆者が本書を読んで気になった論点について紹介していきたい。なお、筆者は駿河今川氏を専門としているため、一・三・四の内容に偏った論点になってしまうが、読者の御海容を賜りたい。

まずは、いわゆる「都鄙」関係との関わりについてである。四に関する内容に関して例をあげると、明応2年における伊勢宗瑞の伊豆討ち入りは、同年の細川政元による足利義稙追放(明応の政変)に連動した行動であるという指摘があり、その後の今川氏親の遠江・三河侵攻についても足利義稙側に鞍替えした氏親・宗瑞が義澄方の斯波氏・松平氏を攻撃したものとみなされている(家永1995)。加えて、土岐氏の内紛に関与していた石丸利光は細川政元の支援を受けて、明応5年に美濃に入国を果たしているなど、京都サイドの介入も見られる。つまり、15世紀末から16世紀前半にかけての東海地域の武家勢力は室町幕府の政治的影響力を多分に受けていたのである。しかし、天文・弘治年間に下ると、京都情勢の影響を受けている様子は見られなくなり、在地での紛争に注力している様子が顕著となる。この転換点はどこに求められるのだろうか。「東海」地域の性格を論じるうえでは、この問題も考えていく必要があろう。

次に、「東海」地域の一体性についてである。この一体性というのは、本書の編者である水野智之氏によって提起された視座である(水野2024など)。水野氏は駿河・三河・尾張などのそれぞれの地域の連帯から「東海」地域の成立の兆候を見出すことができると述べている。しかし、水野氏の提唱する一体性は、戦国期に限ると、あくまで武家・大名権力間の軍事的連携である。それを「東海」地域の一体性と簡単に置き換えてよいのだろうか。たとえば、水野氏は本書の序文において、織田信秀と今川義元の連携を尾張・三河・駿河が連帯する素地があったと論じている。しかし、すでに糟谷幸裕氏が明らかにしているように、当時の織田氏と今川氏は、松平広忠を共通の敵としている状況であった(糟谷2023)。つまり、この連帯は地域的なものではなく、あくまで広忠挟撃のための連帯であり、織田・今川両氏は政治的・軍事的な戦略のもと連携したとみるのが妥当である。

この点については、交通・経済などの観点から通時的に再考してみたり、どの地域同士で連携関係がみられるかを検討したりすることが必要である。

 

【参考文献】
家永遵嗣『室町幕府将軍権力の研究』(東京大学日本史学研究室、1995年)
糟谷幸裕「今川氏の天文の三河侵攻・再考」(『静岡県地域史研究』第13号、2023年)
水野智之「「東海」地域の成立と京・関東」(中世史研究会編『中世史研究会五〇周年大会論集 日本中世の東西と都鄙』思文閣出版、2024年)