2025年4月13日、南池袋公園(東京都豊島区)にて開催された「4・13根津山小さな追悼会」に参列した。この追悼会は、1945年(昭和20)4月13日に起きた城北大空襲の犠牲者を悼むものである。戦後50周年となる1995年に地元有志の方が始めたもので、追悼会そのものも今年で30周年となる。
城北大空襲では、現在の豊島区・北区・荒川区などの地域がアメリカ軍による空襲の被害にあった。豊島区では、16万人が被災し、778人が亡くなったという。彼らの遺体は、現在の南池袋公園(かつては初代東武鉄道社長の根津嘉一郎がその土地を所有していたことから根津山と呼ばれていた)に仮埋葬された。南池袋公園で追悼会が行われているのはそのためである。
追悼会は14時からであったが、池袋駅に着いたのは13時前だったため、周辺を散策することにした。池袋駅から南池袋公園を経由し、さらに東進すると、本立寺にいきあたる。日蓮宗の寺院で、越後国高田藩(新潟県上越市)榊原氏歴代当主の妻たちの墓があった。また、境内には「神木隊戊辰戦士之碑」という石碑が立っていた。神木隊(しんぼくたい)とは、高田藩士のうち、戊辰戦争の際に佐幕派として活動したものたちのことである。石碑には戊辰戦争で戦死した神木隊の人々の名が刻まれていた。石碑は1912年(大正元)に建てられたものであり、戊辰戦争の終結から35年あまり経ってようやくこのような石碑を残すことができたのだろう。

本立寺で石碑や墓を見ていると、すぐに14時が近づいてきたため、追悼会会場である南池袋公園へ向かった。あいにくの雨であったが、それでも多くの方々が参列していた。空襲で亡くなった方々へ黙祷を捧げ、追悼会の実行委員会会長や豊島区長から追悼の言葉が述べられた。また、近隣の教会の牧師の方のお話や寺の住職の方らによる読経も行われた。式次第によると、空襲を経験した方のお話などがある予定であったが、雨のため省略されてしまったのが残念であった。最後に花を手向け、30分程度で式は終わった。
当日は近隣の神社でも追悼の儀式を行っているとのことだったので、大塚にある天祖神社を訪れた。天祖神社は巣鴨村(現在の池袋から巣鴨一帯)の鎮守で、今から約600年前に豊島氏によって伊勢神宮から勧請されたのが始まりだという。こちらは慰霊祭と銘打っており、神社の社殿の中で神道式の慰霊の儀式を行う小規模なものであった。神社の方のお話によると、天祖神社も城北大空襲の被害を受け全焼したとのことだった。その後社殿を復興し、以降4月13日は空襲からの復興という意味合いが強かったとのことだ。しかし、戦後80年の節目を迎え、何か慰霊の儀をしたほうがよいのではないかということになり、今年から慰霊祭を執り行うことになったのだという。境内は一目するととくに変わりないように見えるが、狛犬には焼けたような痕跡があるほか、銀杏の木も空襲により裏側が抉られていた。

空襲から80年と長い年月が経っているが、生き証人の方々はまだいらっしゃる。また、普段気が付かないだけで、空襲の爪痕はいまだに残っている。80年だから特別にというわけではないが、しかし空襲、ひいては戦争をあらためて見つめるよい機会となった。








