久留里城址資料館(千葉県君津市)では、2024年10月26日から12月8日にかけて、「没後450年記念 関東無双ノ大将 里見義堯」が開催された。これにあわせて、里見氏研究会では第28回例会として11月23日に企画展見学会が開催された。なお、里見義堯(よしたか)については滝川恒昭氏が評伝をまとめているので(滝川2022)、詳細を確認したい方はぜひそちらを参照してほしい。

展示の構成は以下のとおりである。

第1章 里見氏のはじまり
第2章 里見義堯の登場~家督継承から久留里城主へ~
第3章 関東争乱の中の義堯~北条氏との戦い~
第4章 義堯の死と里見氏
コラム 義堯の受発給文書
コラム 南総里見八犬伝と義堯

第1章では、前期里見氏(前期・後期の区別は後述)に関係する資料が展示されていた。最初に展示されているのが里見氏の系図で、里見氏の祖先として新田義重の名がみえる。近年の研究で、新田氏は足利一門であったことが判明し、中世後期の日本では足利一門が非足利一門に儀礼的に優遇されていたことが明らかになっている(谷口2021)。里見氏も例外ではなく、戦国期の関東で足利一門として高い家格を有していた。

第2章では、天文の内乱や第一次国府台合戦に関する資料が展示されていた。天文2年(1533)、当主の里見義通は叔父の里見実堯を殺害する。翌年、実堯の子の義堯は仇討ちを称して挙兵し、義通を倒して当主となった。この一連の事件は天文の内乱と呼ばれている。また、これにより里見氏の嫡流が滅亡し、庶流が嫡流化するという変化が起こったため、歴史学ではこれ以前を前期里見氏、これ以降を後期里見氏と呼んで区別している。天文の内乱の勃発について記されている『快元僧都記』が、本展で展示されていた。その後、義堯は相模の北条氏と敵対関係となる。両者は天文7年に激突し、義堯は惨敗した。この第一次国府台合戦についてまとめた軍記物である『北条九代記鴻之台合戦』が展示されていた。

第3章では、上杉謙信による関東出兵と、里見氏・北条氏の争乱についての展示だった。第一次国府台合戦以降も里見氏と北条氏の戦いは続き、永禄3年(1560)には本拠地の久留里城が包囲されるところまで追い詰められていた。そこで、義堯は越後の上杉謙信(当時は長尾景虎。以下、上杉謙信に統一)に援軍を要請する。本展では、義堯の要請に対する長尾政長(足利長尾氏当主。当時は上杉家に従属していた)の返書が展示されており、その書状には義堯の要請を受けて秋に関東に出陣する予定である旨が記されていた。謙信はもともと足利義輝から関東のことを差配する権限を与えられており、それに基づいて関東出兵を行ったとされている。この書状により、里見氏からの援軍要請が出兵の直接的な原因であったと評価できる点で、重要な史料といえる。

謙信の援軍により義堯は再び勢力を盛り返すが、永禄6年の第二次国府台合戦で再び敗れてしまう。このあたりの展示はパネル展示が多かった。しかし、義堯は永禄10年に三船山合戦で勝利し、上総を支配下に置くことに成功した。その後、永禄12年に上杉氏と北条氏の間で越相同盟が締結されると、引き続き北条氏と戦うことを決めた義堯は、上杉氏・北条氏と敵対していた甲斐の武田氏と同盟を結ぶ(甲房同盟)。これにより、里見氏は最盛期を迎えることになる。この三船山合戦と義堯の内政に関わる部分は、一次史料が多く展示されていた。

第4章では、義堯死後の里見氏についてまとめられていた。義堯は天正2年に死去するが、この2年後にまとめられた『唯我尊霊百日記』が展示されていた。この資料には、本展のタイトルとなっている「関東無双ノ大将」という義堯の評価が記されているほか、全体として義堯の政治姿勢を絶賛した内容になっている。義堯の死後も里見氏は北条氏と対立を続け、天正18年(1590)の小田原合戦で豊臣政権に従属する。そして、慶長19年(1614)には江戸幕府の命令で伯耆に転封となり、元和8年(1622)に無嗣断絶となった。伯耆への転封は江戸幕府年寄の大久保忠隣(小田原藩主)失脚に連座したものと考えられているが、忠隣失脚についてはあまり詳細に考察されていない。今後の研究課題といえるだろう。

コラムでは、タイトルのとおり義堯の受発給文書と南総里見八犬伝についてまとめられていた。すでにご存じの方も多いと思うが、歴史学研究の基本は一次史料を分析することである。そして、一次史料とはおもに記録(受給者がいない史料)と文書(受給者がいる史料)に分類される。関東戦国史を語る史料をみると、記録類は『松陰私語』や前述の『快元僧都記』など史料が限定されているのに対し、文書類はたくさん残っており、『戦国遺文』としてまとめられている(関東だけでも後北条氏編・古河公方編・房総編・下野編が存在する)。第1章~第4章がパネル展示・二次史料中心に展示して通史を叙述していたのに対して、ここでは義堯の受発給文書をまとめて展示することで、近年の研究成果を紹介する、という構成になっている。

また、里見氏といえば一般的に曲亭馬琴が記した『南総里見八犬伝』が有名であろう。ちょうど2024年10月25日に映画『八犬伝』も公開されている。八犬士(『南総里見八犬伝』の主人公)や伏姫(映画では土屋太鳳が演じている)が描かれた、江戸時代の資料が展示されていた。映画のなかで馬琴は、おもしろければ嘘でも積極的に作品に盛り込んでいくと語っていた。もちろん、小説なので史実のとおりに叙述する必要はないし、実際に筆者も“虚”のパートの迫力にはとても引き込まれた。一方で、歴史学上で里見氏の評価をする場合にはこうした虚像を剥いでいく必要がある。今後の里見氏研究では、一般的に知名度の高い南総里見八犬伝の叙述と、最新研究で明らかになった戦国大名里見氏の実像という矛盾をどのように解消していくのかが課題といえるだろう。

【参考文献】
滝川恒昭『里見義堯〈人物叢書〉』(吉川弘文館、2022年)
谷口雄太『〈武家の王〉足利氏 戦国大名と足利的秩序〈歴史文化ライブラリー525〉』(吉川弘文館、2021年)