日本大学文理学部資料館では、2024年6月14日から7月22日の期間に「『甲陽軍鑑』と軍学書・軍記物―酒井憲二旧蔵書―」という展示が開催されている。『甲陽軍鑑』とは、戦国大名武田家の戦略・戦術を記した軍学書である。武田家の重臣である春日虎綱が口述した内容を甥の春日惣次郎らが筆写し、これを同じく武田家の家臣であった小幡景憲がまとめたものとされている。

『甲陽軍鑑』の記述は、これまで小説やドラマのもとになってきたが、実証史学においては戦前以来基礎的事実や年紀の誤りから史料としての価値が否定されてきた。しかし、酒井憲二氏らの研究により、同時代史料としての価値が認められるようになった。酒井氏は日本大学出身の国文学者で、研究のために蒐集していた『甲陽軍鑑』は現在日本大学に寄贈されている。本展はこの資料をもとに構成されているものである。

『甲陽軍鑑』は「本篇」と「末書」に分かれており、本展ではそれぞれ第1章・第2章で展示されている。酒井氏によると、「本篇」「末書」ともに春日虎綱の口述内容であり、「末書」は「本篇」で十分記述できなかった内容をまとめたものであるから、両方をあわせて研究するべきであるとしている。

また、本展では『甲陽軍鑑』に関連づけて、江戸時代の軍学がテーマとしてあげられている。江戸時代は戦争がない時代だったが、逆に有事に備えて戦争の方法論を体系化する学問、すなわち軍学が流行した。とくに武田家は“神君”徳川家康を三方原の戦いで破ったという点から軍学の間では神聖視され、そのうえ武田家滅亡後に家康が多数の武田氏旧臣を召し抱えたことから、江戸幕府の原型としても評価されるようになる。

このような江戸時代の軍学や軍記物の需要について、第3章と第4章で展示されている。とくに注目されるのは玉虫七左衛門家所縁の「信玄流軍書」である。玉虫氏は武田氏旧臣の家で、江戸時代初期に仙台藩に召し抱えられている。「信玄流軍書」のなかには長篠合戦の図などが含まれており、江戸時代の人からみた戦国時代のイメージがうかがえる。ただし、「信玄流軍書」はもっとも古くて元禄11年(1698)のものであり、歴史史料として活用するのは難しい側面もあるだろう。

【参考文献】
酒井憲二『甲陽軍鑑大成』研究篇(汲古書院、1995年)