平凡社/2024年6月刊/46版/304ページ/3850円/ISBN:978-4-58246-825-0

芳春院殿の生涯

本書は、芳春院殿(ほうしゅんいんでん)についての人物評伝である。章立ては以下のようになっている。

第一章 芳春院殿の家族
第二章 足利晴氏との結婚
第三章 葛西城ヘの移住と「葛西公方」の誕生
第四章 梅千代王丸の公方家相続
第五章 芳春院殿・義氏権力の確立
第六章 「葛西様」としての芳春院殿
第七章 関宿城ヘの移住
第八章 関宿籠城戦と芳春院殿の死去

とはいっても、読者のなかに芳春院殿という人物をご存じの方はほとんどいないだろう。そこで本項では、芳春院殿の事績についてまとめておきたい。

芳春院殿は相模の戦国大名・北条氏綱の娘として生まれた。北条氏は室町幕府政所執事伊勢氏の分家出身であり、関東では「他国之凶徒」として上杉氏をはじめとする伝統的な勢力から反発を受けていた。こうした状況を打開するために、氏綱は鎌倉幕府執権北条氏にあやかって名字を「北条」に改称し、天文元年(1532)には武家の守護神として崇められていた鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)を再興している。これにより、北条氏は関東の支配者として在地勢力に受け入れられることになった。

さらに、氏綱は天文7年に第一次国府台合戦に勝利し、その戦功によって4代古河公方の足利晴氏から関東管領に任じられた。これにより、北条氏は数ある関東の武家のなかでも、以前から関東管領として古河公方足利氏に次ぐ政治的立場にいた上杉氏と同格の存在になったのである。

芳春院殿は、翌天文8年に足利晴氏と婚約し、天文9年に婚姻が成立している。これにより、古河公方家と北条氏が親類となった。その後、天文12年には晴氏と芳春院殿の間に足利義氏(幼名は梅千代王丸)が誕生している。

しかし、天文14年頃から足利晴氏と北条氏康(氏綱の嫡男)の関係が悪化しはじめ、翌年には河越合戦で両者がぶつかることになる。河越合戦に勝利した氏康は、これ以降勢力を拡大していくことになる。

一方、敗北した晴氏は挽回を狙って氏康との対立を続け、天文17年には長男の足利藤氏を後継者とした。これに反発した芳春院殿は、天文19年に息子の義氏を連れて北条領国内の葛西城(東京都葛飾区)に移り、義氏を「葛西公方」に擁立した。しかし、このとき義氏はいまだ元服しておらず、実際には芳春院殿が「おんな家長」として古河公方家の家政に携わった。

古河公方と葛西公方の対立は、翌年に晴氏が氏康に屈服したことで解消され、晴氏は藤氏を廃嫡して義氏に家督を譲った。また、弘治元年(1555)に足利義氏が元服すると、これまで芳春院殿が担ってきた権限は徐々に義氏に移行されていった。

永禄元年(1558)、義氏は鶴岡八幡宮に参詣し、氏康の本拠地・小田原城(神奈川県小田原市)に向かった。ここで、義氏と芳春院殿は葛西城から関宿城(千葉県野田市)に移るように氏康から提案を受け、2人はこれを了承した。これ以降、芳春院殿は永禄4年に死去するまでを関宿城にて過ごした。

本書の内容

著者の黒田基樹氏は、これまで戦国大名家の妻について研究を重ねてきている。具体的には、浅井茶々(羽柴秀吉の別妻)・瑞渓院殿(北条氏康の正妻)・寿桂尼(今川氏親の正妻)・三条殿(武田信玄の正妻)・築山殿(徳川家康の正妻)・お市の方(浅井長政の正妻)などである。本書は、これに続く研究成果に位置づけられるものである。

前項で確認したとおり、芳春院殿は幼少の古河公方・足利義氏に代わって、「おんな家長」として古河公方家当主の権限を行使していた。このこと自体は数十年前から知られていたことではあったが、ここにきて一躍注目を浴びる存在になってきている。というのも、戦国時代の女性のなかでは最多数の発給文書が現存している可能性が出てきたのだ。

これは、新たに史料が発見されたということではない。これまで義氏発給とされてきた文書の一部が、実は芳春院殿によって発給された文書である可能性が出てきたのである。これにより、芳春院殿の発給文書数は従来最多とみられてきた寿桂尼を超えることになった。この義氏か芳春院殿かの人物比定については、第四章で分析されている。

しかし、やはり一般書ということもあり、個別の史料の人物比定についてはもう少し検討するべき点があると思われる。今後の検討によって、本書では芳春院殿に比定された部分が、やはり義氏でよいのではないかという揺り戻しが起こることもあるだろう。もちろん、このことが本書の価値を落とすものではまったくない。

また、ほかの研究者と異なる見解についても、今後どちらの説の蓋然性が高いかを考察する必要があるだろう。具体的には、芳春院殿がいつから正妻の立場になったのか、足利義氏がいつから晴氏の後継者に位置づけられたのか、などがあげられる。また、古河公方家は鎌倉公方家の末裔であり、本質的に戦国大名家と性格の異なる家である。黒田氏は基本的に従来の研究で判明していることを芳春院殿の事例にも当てはめて考えているが、戦国大名家の妻のあり方と、室町時代以来の家の妻のあり方を比較したときに、当然異なる点もあるだろう。

こうした点は今後の研究課題といえる。本書を通じて、戦国時代の女性史の研究がさらに深まることを期待したい。