2025年6月14日、山梨県帝京大学文化財研究所にて、武田氏研究会第39回総会・記念講演会が開催された。記念講演会の報告者は伊藤裕久氏で、論題は「武田氏の城と城下町―新府城跡・武田氏館跡の保存整備に関わって―」である。

伊藤氏は東京理科大学の工学部建築学科で教鞭をとられている方である。また、平成10年(1998)4月より新府城(山梨県韮崎市)跡保存整備委員会委員として、新府城跡乾門保存整備に携わり、研究の一環として新府城の復元模型も作成されている。同26(2016)4月より武田氏館跡保存整備委員会専門委員としても活動されており、旧堀田古城園の実測調査と武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム。いずれも同甲府市)基本計画に携わっている。

本講演は都市史・建築史的観点に基づき、これまでに集積された研究成果を踏まえたうえで武田氏の城郭と城下町を考察したものとなっている。おもな課題は、武田氏の空間志向の具体性を問うことである。信虎・晴信(信玄)・勝頼の武田氏当主三代が、どのような建築・都市空間の在り方を理想としたのか。すなわち、武田氏の空間イデア(姿・形)を明らかにして、可視化した評価を加えることを目的としている。

議論の中心となったのは、武田氏館跡歴史館の基本計画からみた、武田氏館(躑躅ヶ崎館)と甲府城下町の空間構成である。伊藤氏は、甲府の城下町は中世と近世が結合した特殊な都市空間構造であると指摘している。新府中が条里制に基づいた空間・古府中が相川扇状地の微地形と一条小山への「山あて」に基づく城下町グリッドである。寺院の立地と移転に加え、江戸期となって古府中の町割と屋敷地割がみられる。かかる土地の構造と歴史的事象から、中世からの「継承」と近世の「再構築」が考えられるとされた。

武家屋敷の発掘成果および旧堀田家住宅(古城園)を中心とした屋敷構の検討からも同様の理解が可能とされた。古典的・先進的な部分が交互に合わさった、独創的な建築技術が武田氏にはみられるという。また、窪八幡神社(同山梨市)に関してその構造と条里制に基づく軸線の形成をみると、その造りは鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)に似ていることが明らかになった。鶴岡八幡宮といえば、鎌倉幕府・源氏の守神として多くの関東武士の信仰を集め、武家政権および文化の拠り所となった場所である。それを模したということは、武田氏が源氏一族であることの正統性を意識した意図があったものと推定される。

また、武田氏の城下町は、相川扇状地の影響による傾斜角度の変化に対応した都市計画がされていたことも明確となった。ことに、武家屋敷が建設された地区はとりわけ複雑な傾斜があり、平坦地における大規模な屋敷の造成がみられず、段差をもつ小規模敷地に分割して街区内を開発していたという点は、戦国期京都の武家屋敷とは対比的であるという。鎌倉や京都における鎌倉・室町幕府による武家政権都市を意識しつつも、甲府の地形の構造上からそれらとは異なる独自の都市空間となったということは非常に興味深い。

本講演にて導き出された知見は、いずれも文献史学の視点のみではたどり着くことが困難な貴重なものばかりである。筆者の専門も文献史学を基礎とするが、大学では地理学も同時に学ぶことが可能な学科に所属していたため、関係する学問として都市史・建築史にもわずかに触れたことがあった。個人的に、本講演はその経験を思い起こさせると同時に、あらためてその重要性を知る機会となった。筆者の浅学・不勉強もあって、本講演の内容を咀嚼しきれていない部分もあるであろうが、都市史・建築史からみた中世史・近世史というのは、これまでに見たことがない新たな過去の姿を映し出してくれるものと考える。