三井記念美術館において「茶の湯の美学―利休・織部・遠州の茶道具―」展(4月18日~6月16日)が開催された。さすが三井記念美術館というべきは展示物の質の高さで、重要文化財・国宝を中心に利休所伝の品々や中興名物(小堀遠州が選んだとされる茶道具)などが並ぶ展示室は中々豪華なものだった。今回の展示の担当学芸員は、茶道史上の新研究に多く目を通したと図録で述べている。しかし、この展示の核というべき利休・織部・遠州の美学についての再検討は不十分だったのではないだろうか。
近年の茶道史、とくに中村修也氏や橋本素子氏らの研究動向をそれぞれみていくと、由緒の再検討というのが重要なテーマとしてあげられる。中村修也氏は千利休・四大茶会記(『天王寺屋会記』『松屋会記』『今井宗久茶湯日記抜書』『宗湛日記』)を中心に検討を加え、その由緒に多くの疑義を呈しうることを示しているし、橋本素子氏は茶道具や点前の変遷を式正儀礼の展開に位置付けることで天正期茶道のイメージを問い直している。
もちろん、担当学芸員もこれらの研究を踏まえているが、いくつかの場面において展示のテーマが曖昧になってしまっているように見受けられる。
たとえば、千利休の展示は「わび・さび」を中心に構成されている。しかしながら、この展示では千利休所伝の展示品として後代の千家家元によって鑑定された茶道具がいくつも展示され、千家茶道における利休のイメージ以上のものが伝わる展示にはなっていない。近年の研究動向を踏まえたうえで利休の美学をどのように捉えるか、その道筋を示してほしかったといえば欲張りだろうか。
古田織部の展示は「破格の美」を中心に構成された。古田織部の研究はけっして進んでいるとはいいがたいが、かつてのように織部焼をもって彼を代表させることはできなくなっている。その結果、織部所伝の品がけっして多くないことや、確実な史資料があまり多くないことなどを斟酌しても、織部に直接関係する展示品があまりに少なくなっている。志野や伊賀のなかでも歪みの大きなものを並べたというような様子で、織部の展示というよりはむしろ桃山茶陶の展示といった様子であった。
小堀遠州では「綺麗さび」をテーマとしている。ここに至って、ようやく中興名物を中心に遠州のイメージが伝わるような展示となっている。しかしながら輸入陶磁から新たに開かれた窯まで、遠州の茶の湯の広がりを俯瞰できるようなものにはなりえていなかったのではないだろうか。
このような状況は研究動向の変化に合った展示のテーマ設定ができていなかったために生じたと思われる。かつては利休・織部・遠州をわび・へうげ・綺麗さびとしてそれに合った展示を構成することは難しくなかっただろうが、現在ではその関係性は以前ほど明示的なものではなくなった。それにもかかわらず、わび・破格・綺麗さびをそれぞれの核として捉えつつ、新たな研究動向に則った展示をというのはほとんど矛盾していたのだろう。
それでも茶人を中心にするなら史料の再検討から彼らの用いた道具類を見出してその美学を見つめ直すべきだったろうし、わび・破格・綺麗さびなどのイメージを中心にするならばそれら概念の成立と展開に目を向けるべきだったのではないだろうか。





