2025年が始まって、はやくも三が日の最終日となった。年始というと最初に思い出すのは、むかし『ギリシア・ローマ名言集』で見たオウィディウスの『祭暦』冒頭のにある「栄えの朝日が昇ります。」という一句だ。
利根川流域に暮らしていると、霧がたちこめるなか明るい太陽が差し込み、徐々に霧が晴れていくのというのは、まさに栄えの朝日というにふさわしい様態に思える。寝正月で今年は見れていないのが、残念だ。かつてオウィディウスの居たテヴェレ河畔のローマでも冬の早朝には霧が深く佇んでいることだろう。
今読み直したら「栄えの朝日が昇ります.みなさん,言葉と心持ちに慎みを.いまは善き日に善き言葉を語らねばならないときなのです.諍いから耳を解き放ちましょう.すぐにも狂おしい罵りを捨てましょう.妬み深い舌よ,おまえの出番はもっとあとなのだ.」*とあった。
そのように年始だけでも生きられるだろうか。自分にはちょっと難しいかもしれないとも思うし、一方でそのようにあり続けなければとも思う。
さて、ここでは引き続き、慎み深く善き言葉を皆様に届けられるよう工夫を凝らしていく所存である。こんなあまりとりとめのない言葉でもって新年のご挨拶とさせていただこう。
それでは皆様、本年もどうぞ、ごひいきに。
*柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』(岩波書店)2003年 p.100

