2025年3月8日、駒澤大学駒沢キャンパスで駒澤大学卒業論文報告会が行われた。とくに私は日本中世史に関わる報告を拝聴したので、要旨をまとめていきたい。報告者は大橋萌香氏で、論題は「上杉景虎の花押について」である。

現在、上杉景虎が発給した文書は37点知られており、景虎が使用した花押は2種類、印判は1種類確認されている。このうち、花押は形状から花押一型と花押二型に分けられている。花押一型については、従来は元亀元年10月3日付け書状(『上越1』1066号)を初見としていたが、黒田基樹氏は年未詳5月9日付け書状(『新潟県紀要』)が初見に当たることを指摘しており(黒田2024)、報告者も賛同している。

また従来、花押一型は北条宗哲の花押との類似性(櫻井2003)と、上杉謙信の花押との類似性(木村2012)が指摘されていた。報告者は花押一型を詳細に分析し、両方ともに類似性があることを確認した。そのうえで、両者の花押を掛け合わせることで、景虎が越相同盟にともなう北条氏と上杉氏の関係を取り持つ立場にあることを示したのではないかと考察している。

一方、花押二型は天正6年7月26日付け書状以降確認でき、北条氏政の花押との類似性が確認されている。この点について黒田氏は、景虎が上杉景勝と対抗するにあたり、北条氏の一族である自覚を強めたのではないかとしており(黒田2024)、報告者も黒田氏の説に賛同している。

今回の報告では、景虎が発給した文書の印判と花押の画像をまとめた目録が年代順に並べられており、この目録を基に報告が行われた。こうした目録の作成などの地道な作業は、歴史学研究において重要なことといえる。ただし、いくつか問題点もあった。

1つは、景虎の印判の印文の解読であろう。先行研究では、「武□家定威□」と解読されており、2文字目と6文字目が解読されていない。大橋氏は2文字目を「非」、6文字目を「恵」と解読し、「武力は家にあるのではなく、威光と恩恵が定めるものである」と解釈した。ただ、「非」「恵」と解読した明確な根拠は示されていないとの指摘が出た。印文は、発給者のスローガンを表すものであり、景虎の印文を解読することは、御館の乱における景虎の意思をより明確にするために重要なことだと思われ、今後も検討していく必要があるだろう。

もう1つは、花押二型の右側につけられた点についてである。片桐昭彦氏は、花押の右側につけられた点の位置によって、花押二型を花押二a型と二b型に分類しており、実兄北条氏政の花押と類似していると指摘している(片桐2015)。また、天正6年12月26日付け書状(『上越2』1730号)をもって、花押二b型の初見とし、点を上方に付けることで、機運の上昇を図ったとしている(片桐2015)。この点、大橋氏は写ではあるが、天正6年霜月3日書状(『上越2』1712号)を点の位置から、花押二b型の初見と比定している。黒田基樹氏は、景虎の花押二型を氏政の花押に倣ったものとし、片桐氏と同様に花押二b型は機運の上昇を意図したものとしており(黒田2024)、大橋氏も両者の説を援用している。

ただ、片桐氏と黒田氏の説はともに景虎方の劣勢という政治情勢を基にしており、花押の点の位置を高くすることを満足に説明した説ではないと思われる。今後は、他地域で活動していた同時代人の花押の検討をするなど、多角的な視点が求められるだろう。

【参考文献】
片桐昭彦「上杉景虎」(黒田基樹・浅倉直美編『北条氏康の子供たち』宮帯出版社、2015年)
木村康裕「上杉景虎の発給文書について」(同著『戦国期越後上杉氏の研究』岩田書院、2012年)
黒田基樹「上杉景虎」(黒田基樹・前嶋敏編『上杉謙信とその一族』戎光祥出版、2024年)
櫻井真理子「上杉景虎の政治的位置―越相同盟から御館の乱まで―」(『武田氏研究』第28号、2003年)

【出典】
『上越1』=上越市史編さん委員会編『上越市史別編1』(上越市、2002年)
『上越2』=上越市史編さん委員会編『上越市史別編2』(上越市、2004年)
『新潟県紀要』=新潟県立歴史博物館『新潟県立歴史博物館紀要 第21号』(新潟県立歴史博物館、2020年)