最終回である第4回では、ラテラノ条約締結の瞬間を体験したヴァールブルクが、この歴史的事件を自身の研究であるムネモシュネ・アトラス(第1回参照)にどのように反映したかを解説していく。
パネル番号77、78、79
ヴァールブルクはラテラノ条約締結の8か月後に亡くなるが、その間にパネル77、78、79の3枚をムネモシュネ・アトラスに追加している。3枚のパネルにはいずれにもヴァールブルクが観測した「古代の異教の復活」が反映されている。
パネル78は、ラテラノ条約の締結時の報道写真を図版のように貼り付けたものである。いずれも第2、3回で詳細に説明したものを視覚化したような形だ。今回はパネル78の説明を割愛し、前後の77、79について詳しくみていく。
パネル77番 古代の異教の復活
パネル77の中央には、ムッソリーニがライオンと一緒に檻の中にいる写真が配置されており、キャプションには「ムッソリーニと彼の雌ライオン」とある。この写真はファシスト党の記録映画からの抜粋である。写真の右にはライオンを図柄にした切手が二枚、左にはジョットの《小鳥に説教する聖フランチェスコ》の図版が配置されている。ムッソリーニは雌ライオンを「イタリア」と名付け、その姿を頻繁に写真に撮らせていた。1924年2月、ヴァールブルクはムッソリーニがライオンの仔を抱えた写真を新聞で見つけ、その異教的な象徴性に注目した。

ライオンは伝統的に権力者の象徴である。ヴァールブルクはムッソリーニが自分の誕生日を「太陽が獅子宮に入って八日目」と記述していることに着目し、車に乗る彼を古代の太陽神ソルと重ね合わせた。ムッソリーニが「無敵の太陽」としての古代ローマの支配者像を再現していると考えたのである。ヴァールブルクはこのことを「古代の残存」と呼んだ。
ジョットの《小鳥に説教する聖フランチェスコ》は、聖フランチェスコが小鳥にまで説教をするという奇跡を描いた作品である。これを隣に配置することで、ムッソリーニが「ライオンを手なずける」という奇跡を演出していること、そして権力を完全に掌握したことを伝統的なキリスト教イメージで実践していることをヴァールブルクは明らかにしている。

またヴァールブルクはムッソリーニとライオンの写真をデューラーの《秤と杖をもつ若者(ソル・ユスティアエ)》とも比較している。
より太陽神に扮するムッソリーニを強調した形だ。若者(ソル・ユスティアエ=太陽神)は見ての通り、異形の姿でありライオンを乗り物のように完全に制圧している。より神性、あるいは化け物らしさが際立った作品だ。

ヴァールブルクはムッソリーニの政治プロパガンダに古代帝国の力を見出していた。ラテラノ条約締結とローマ市民の熱狂のなか中で、彼はファシスト政府を担い手とする「ローマの再異教化」を認識したのだ。1929年の教会と国家の関係変化に、ヴァールブルクは古代ローマ帝国の皇帝権力の象徴たる異教的太陽神とローマ教皇を中心とするキリスト教文化のイメージの融合をみたのだ。ラテラノ条約によってカトリック教会は世俗的権力を放棄して単なる宗教的権威となり、ゴンブリッチ(ヴァールブルクの弟子。第1回3回参照)が言う「むきだしの権力の象徴(ファシズム)」と「象徴的なだけの領域への教皇の撤退」により、ファシスト政権に吸収された。教会と国家の接近は、政治的ないし宗教的権力の行使する暴力の問題に結びつくことを暗示している。この暴力の問題をヴァールブルクはパネル79で「聖体」を通し、キリスト教の核心に位置する「イメージ」の力に結びつけている。
パネル79番 悲劇の予感
パネル79は、パネル78で取り上げられたラテラノ条約締結を受け、かつてカトリック教会が保持した宗教的権力に関する問題を探求するものである。1929年、カトリック教会が持っていた権力はその内に秘めた暴力性とともにファシスト政権へと継承された。ヴァールブルクのパネルで中心に位置するのは聖体(ミサで用いられるパン。キリストの肉体の象徴)であり、暴力も図像の連鎖に組み込まれている。

パネルの中央には1929年7月25日のサン・ピエトロ広場での聖体行列の写真がある。行列の様子は教皇ピウス11世の輿、スイス衛兵、サン・ピエトロ広場の群衆、ミサ、兵士の行進まで続いている。スイス衛兵と兵士の写真の間には、教皇庁の軍隊に関する書物からと取られた弾薬運搬車の図版が配置されている。

さらに、教皇の輿を撮った写真の右には、ラファエッロのフレスコ画《ボルセーナのミサ》の複製、その左下にはジョットの《希望》、右にはボッティチェッリの《聖ヒエロニムスの最後の聖体拝領》の複製が並んでいる。中世の聖体冒涜を題材とした木版画もある。これらの作品はすべて聖体をテーマとしているが、注目したいのは中世末期以降のヨーロッパでのユダヤ人迫害の理由とされた流言であるホスチアの中傷、聖体の冒涜が根底にあるということだ。「ユダヤ人がミサの聖体を汚した」という流言が中世以降ヨーロッパの都市では度々発生し、ユダヤ人の迫害や虐殺が繰り返されてきた。ラテラノ条約締結式と1929年7月25日のサン・ピエトロ広場での聖体行列をみたヴァールブルクは、古代の異教の復活だけでなく、ユダヤ人差別の歴史が繰り返されることも予感したのである。

ヴァールブルクとムッソリーニ
1929年10月26日のヴァールブルクの急死により、「ムネモシュネ・アトラス」の生成変化は止まった。パネル79は、「ムネモシュネ・アトラス」が同時代の出来事と直接接続されながら増殖していく可能性を示していた。美術史家アビ・ヴァールブルクは、同時代人ムッソリーニの駆使するプロバガンダの中から敏感に「古代の異教の復活」を察知し、美術史的にその力を明らかにした。そして、その先に訪れる悲劇をも予測していた。
ヴァールブルクの死から3年後、1933年にナチスが政権を掌握し、ヴァールブルクの図書館はハンブルクからロンドンへ移転を余儀なくされた。もしヴァールブルクが生き延びていたら、パネルはどんな姿をとったのだろうか。多くの研究者が、ヴァールブルクの影響を受けて美術史のイコノロジー的解釈を試みている。現代においても、その解釈法は非常に意義深い。
参考資料
アビ・ヴァールブルク、伊藤博明・加藤哲弘・田中純訳、『ムネモシュネ・アトラス』、ありな書房、2012 年。
エルンスト・ゴンブリッチ、鈴木杜幾子訳、『アビ・ヴァールブルク伝:ある知的生涯』、晶文社、1986 年。
エルヴィン・パノフスキー、浅野徹・阿天坊耀・塚田孝雄・永澤峻・福部信敏訳、『イコノロジー研究』、美術出版社、1971 年。
エルヴィン・パノフスキー、中森義宗・内藤秀雄・清水忠訳、『視覚芸術の意味』、岩崎美術社、1971 年。
アーネスト・ゲルナー、加藤節訳、『民族とナショナリズム』、岩波書店、2000 年。
田中純、『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』、青土社、2001 年。
木村裕主、『ムッソリーニ―ファシズム序説』、清水書院、1996 年。
松本佐保、『バチカン近現代史』、中央公論新社、2013 年。
Heil, A., Brehm, M., Ohrt, R. (Hg.): Aby Warburg: Billedatlas Mnemosyne:the original, Berlin 2020.





