本書の概要
本書は、戦国・織豊期の京都や宗教史の研究で知られ、近年では豊臣政権に関する書籍も多数刊行している河内将芳氏による、豊臣(羽柴)秀長の生涯を俯瞰した図説である。
現在、秀長に関する書籍は数多く出版されているが、本書は京都という都市や儀礼の持つ意味といった著者の専門領域に関する記述も多く、豊臣政権が首都である京都をどのように利用したのかに焦点があてられている。そのため、秀長や秀吉に関心がある人だけでなく、広く当時の京都や儀礼などに関心がある人にも薦められる一冊となっている。なお、秀長は時期により実名の変遷があるが、ここでは秀長で統一する。
「図説」としての特性
まず特筆すべきは、「図説」としての圧倒的なリズムの良さである。
たとえば、秀長が歴史上に登場する時期と秀長の名字の変遷を考察する章では、『信長公記』による天正8年(1580)の「舎弟木下小一郎」という記述を引用した後に、それ以前にあたる天正3年の「羽小一郎」という署名の判物の存在が明かされる。その記述の真上に詳細な天正3年の判物の写真が提示され、読者はすぐにそれを確認できるようになっている。
これにより、読者は秀長の改名時期を知ることができる。さらにそれだけでなく、『信長公記』の性格、つまりあくまでも二次史料であり、その記述を無批判には鵜呑みにできず、場合によっては一次史料によって信憑性を確認する必要があることまでも理解できるのだ。
城郭の章では絵図や写真が配され、合戦の章では布陣図が、柴田勝家が死去した記述の近くにはその墓の写真が掲載されており、読者はまるで内容の濃い秀長展を巡っているかのような感覚で読み進めることができる。
また、できごとの記述には出典日時付きの日記などの史料からの一部引用を多用しており、そのできごとが当時どのような言葉で書かれていたのか、臨場感をもって読むことができる。
首都である京都への注目
著者の専門性がもっとも発揮されているのが、京都を舞台とした記述である。これはおもに秀吉に関する記述になるのだが、秀吉が京都で何をしたのか、そしてその意味はどのようなものかという記述には考えさせるものが多かった。
たとえば、佐久間盛政(柴田勝家の甥。賤ヶ岳の戦い後に処刑された)を京都で処刑し首を晒したことについて、著者は天下の敵であることのアピール、そして天下人への意欲の前段階を読み取る。
もちろん、秀吉が敵対する勢力の総大将・柴田勝家の首に執着していたかは不明であるように思えるのに、「本来ならば柴田勝家の首を晒したかったのであろうが」とまで書くことには著者の解釈がやや先走っている感は否めない。しかし、まだ織田政権内に留まる秀吉が政権内部の自らの敵の首を京都に晒したことの効果は大きいだろうと思わされた。
このほかにも本書には「天下」の中心である京都という場所だからこそという記述が多く、豊臣政権の特徴を理解しやすくなっている。
大政所の病気
また、日記を駆使し、京都や奈良でのできごと、寺社などの事情も多く書かれている。
とくに、大政所(天瑞寺殿)の病気回復をめぐる記述は圧巻である。ここでは『お湯殿の上日記』『言経卿記』『多聞院日記』『家忠日記』など複数の史料から、情報の伝播過程や当時の噂の状況などをうかがい知ることができて興味深い。そして、大政所の病平癒後の秀吉による寄進の話題ではその用途が示されたこと、それが大政所病気快復モニュメントとしても用いられたことが示され、それと並行して大政所の位牌所が作られたこと、そして位牌所を作ることは家の先祖を位置づけることだということが述べられていく。
このように、秀長の母である大政所の病気一つをとってもこの本で描かれる情報は多岐にわたる。なお、河内氏は以前にも大政所の病気について詳細に言及した書籍を著している(河内2022)。あわせて参照されたい。
本書の課題
一方で、本書を読み解く際には、著者の叙述の癖に留意する必要がある。とくに、第7章、若公(鶴松)誕生以降の記述については、著者の推測が色濃く反映されている。
ここでは若公誕生により秀吉と秀長の心の距離が遠ざかったという結論が先行している印象があり、史料の配置がそのストーリーを補強するために選別されているようにも見受けられる。
たとえば、秀長の病気を若公誕生の影響と結びつけ、秀長の野心をも見出す推測や、それと辻褄を合わせるようにその後の小田原攻めで連絡が密であることや親しげであることなどについて、物理的に離れたので兄弟の絆が強まったのだろうかという推測を入れることには論理の飛躍を感じ誘導感を抱く読者もいるだろう。
しかし、こうした著者の「解釈」を含めても、本書の価値は揺るがない。
根来攻めにおいて秀長が「還俗して自分に奉公するつもりがあるものは魚を食い出家をやめよ」と命令したエピソードにみられるような、当時の文化的心性へのアプローチや、現在も当時の擬宝珠(ぎぼし)が残る三条橋(京都府京都市)は秀吉の小田原出陣時にはじめて橋がかかり、しかも秀吉が初めて通るまで往還禁止になっていたという解説など、新たな気づきに満ちているからだ。
巻末の天正13年から死亡時までの秀長の動向と所在のリストも極めて有用であり、今後秀長本を読む場合やドラマを見る際に参考になるだろう。本書は秀長に関心を持つ者のみならず、この時代の政治社会構造に関心を持つ者に薦めることのできる一冊といえる。
【参考文献】
河内将芳『大政所と北政所 関白の母や妻の称号はなぜ二人の代名詞になったか〈戎光祥選書ソレイユ008〉』(戎光祥出版、2022年)




