KADOKAWA/2025年5月刊/四六判/276ページ/2024円/ISBN:9784047037397

本書の概要

本稿は、2025年5月に刊行された『羽柴秀吉とその一族』の書評と紹介である。羽柴秀吉に関する研究状況は、『豊臣秀吉文書集』などの刊行によって、研究環境が整い始めてきた。最近においては谷徹也氏が『豊臣政権の統治構造』(谷2025)を上梓したように、政権内の運営体制や統治の実像が明らかになりつつある。

しかし、秀吉の一族・親類については、江戸時代の所伝に拠っているところがあり、かつ十分に検討されてこなかった状況であった。本書では、秀吉の一族・親類について、典拠史料を用いながら基礎的な事実確認を行い、基本情報を解明することを目的としている。

まず、本章の目次を掲げる。

序章 秀吉の親類たちの検出
第一章 秀吉の出自と父母・きょうだい 
第ニ章 父方の親類と母方の親類
第三章 秀吉の織田家出仕と寧々との結婚
第四章 秀吉の実子と養子たち
第五章 瑞竜院殿の夫と子供たち
第六章 秀長の妻と子供たち

本書の内容

序章においては、本書で対象とする秀吉の親類を検出している。黒田氏は「祖父物語」「駒井日記」などから、秀吉が親類として遇していた範囲を以下のように提示した。なお、括弧内において秀吉との間柄を示した。

天瑞院殿(秀吉の実母)
瑞竜院殿・三好常閑とその子供たち(秀吉の姉夫妻・甥姪)
秀長とその妻子(同母弟・甥)
福島正信妻とその子正則、同じく青木重矩妻とその子重吉(父方の叔母と従弟)
杉原家次妻とその子家次、同じく小出秀政妻とその夫秀政(母方の叔母と従弟)
加藤清忠妻とその子清正(従弟叔母〈天瑞院殿従妹〉と再従弟)
朝日殿・七曲殿(義母・義叔母〈寧々の母・叔母〉)
木下家定(義兄〈寧々の兄〉)
長慶院(義姉〈寧々の姉〉)
宇喜多秀家(養女婿)

黒田氏はこれらの人物に加えて、実子・養子とその配偶者、妹・朝日(南明院殿)とその夫、寧々の妹・屋々とその夫浅野長吉(のちに長政と改名)も含めることができるとし、本書において検討する親類を秀吉の父母と正妻寧々の親戚に絞っている。

第一章では、秀吉の父母ときょうだいについて検討しており、とくに父と母の素性について詳しく検討している。なお、きょうだいについてはのちに黒田氏が詳しく言及するため、ここでは父母の検討のみ取り上げる。また、本書では検討対象となる人物の人数が大変多い。そのため、本稿では主に各章タイトルに人名が登場する人物に絞って紹介する。詳しくは本書を参照していただきたい。

従来、秀吉の父については実父が木下弥右衛門、継父が筑阿弥とされてきた(『太閤素性記』など)。しかし、黒田氏はこの従来の説を近世に成立した史料を基とした解釈とし、瑞龍寺所蔵の「木下家系図」にみえる戒名の「妙雲院殿」を呼称とした。この妙雲院殿について、黒田氏は清須織田家に武家奉公していた上層百姓ではないかと推定した。また、秀吉が方々に奉公に出ていたことから、晩年は没落したと付け加えている。

続いて、母の天瑞院殿について検討を加えた。天瑞院殿は永正14年(1517)に生まれ、天正20年(1592)に死去したことが判明している(河内2022)。また、出身については青木家の所伝に記載がある。この史料によると、天瑞院殿の父は愛知郡の住人関兼員であったといい、おそらく御器所村(愛知県名古屋市)の百姓であったと推定されている。

第二章では父方・母方の親類について取り上げている。具体的には、青木重矩・福島正信・杉原家次・小出秀政加藤清忠の5名に加えて、素性不明の「伯父」又右衛門があげられている。黒田氏は、彼らの生没年・素性に加え、福島正信の子正則と加藤清忠の子清正の仕官経緯について整理している。それぞれの略歴については、本書を参照していただきたい。

第三章では、秀吉が織田家に出仕し、直臣に成長していく過程や、寧々と結婚する経緯について、彼の人間関係から検討されている。秀吉が織田家家臣として見られる初見史料は、永禄8年(1565)の判物である。この史料によると、秀吉は美濃の武士に所領宛行を仲介している(「坪内文書」『豊臣秀吉文書集』1号)。この史料から、同年時点ではそれ相応の身分に成長していたと推測される。

しかし、それ以前の秀吉の動向については二次史料に依拠しなければならない。その中で、黒田氏は『明智軍記』の記述に着目している。それによると、秀吉は永禄元年(1558)に奉行人として信長に仕えはじめ、同4年(1561)において清須城(愛知県清須市)の塀修理を務めた功から足軽となり、「藤吉郎」と名乗った。その際、木下雅楽助の寄子となり、翌五年に「木下」名字を与えられて「木下藤吉郎」となったという。この記述は『太閤記』とも一致しており、信長の動向と矛盾がないことから、信用してよいとしている。

もう1つの話題が、寧々との婚姻時期についてである。これまで、時期については永禄4年説と同8年説に分かれていた。黒田氏は秀吉の身の上の状況から、永禄8年が妥当であるとしている。そのうえで、寧々との結婚経緯について分析し、秀吉にとって叔母婿の姪にあたる寧々との婚姻は自然な在り方であり、木下雅楽助・寧々の学問指南役であった養雲院殿とその夫・那古屋因幡守あたりが信長への取り成しを担当し、柴田勝家・前田利家が結婚のおぜん立てを担当したと予測している。

第四章では、秀吉の実子と養子について検討している。実子としては石松丸秀勝・鶴松・秀頼がおり、養子としてはごう(前田利家四女)・次秀勝(織田信長四男)・秀俊(のちの小早川秀秋)・小姫(織田信雄娘)を挙げている。この内、石松丸については、和田裕弘氏による検討(和田2016)や、著者の黒田氏によって新知見が紹介されている(黒田2025)。合わせて参照していただきたい。

第五章では、秀吉の姉瑞竜院殿の家族について検討されている。瑞竜院殿は秀吉より5歳年長の姉で、寛永2年(1625)に死去した。本章では、彼女の夫である三好常閑と、子供である羽柴秀次・秀勝・秀保について紹介されている。これらの子供たちは豊臣政権内で重要なポジションに就任しているため、その出自をあらためてまとめ直した部分は大変勉強になる。

第六章では、秀吉の弟である羽柴秀長の妻と子供たちについて検討されている。羽柴秀長は秀吉の同母弟で、豊臣政権下では四国・九州征伐の総大将を務めるなど、政権の柱石として活躍した人物である。詳しくは柴裕之氏・和田裕弘氏の著書などをご参照いただきたい(柴2025・和田2025)。

秀長には、正妻の慈雲院殿と、子供の与一郎、その妻で後に秀長の養女となった岩(知勝院殿)、養子の千丸(藤堂高吉)、別妻の摂取院、長女の羽柴秀保妻、次女のきく(毛利秀元妻)の七名が検討対象となっている。なお、秀長の妻子については先述した和田裕弘氏の著書(和田2025)でも詳しく整理されているので、同時に参照するとより深く学べる。

本書の感想

以上、本書の内容を紹介した。筆者はこの本を一読して、黒田氏の史料渉猟の範囲の広さに感銘を受けた。黒田氏は、筆者が主に研究対象にしている駿河今川氏について、従来は正室・寿桂尼の子供とされていた義元の出自を蒲原氏の娘から生まれた庶出の子であると明らかにしている(黒田2023)。その背景には、黒田氏が新出系図を発見し、その記述を吟味し紹介したという、氏の史料渉猟の成果が反映されている。

本書においても、「祖父物語」などの二次史料をはじめとして、関係人物の系図など多種の史料の記述にもとづいた記述がなされている。近年の論文では二次史料の記述を排除する傾向もあるが、本書を読んで、やはり二次史料の記述をいかに咀嚼し、信用できる情報を発見していくのか、という向き合い方も大事であると再認識させられた。

また、本書ではこれまで諸説が錯綜していた秀吉とそのきょうだいの出自を整理して、その成果をまとめたところに意義があるであろう。黒田氏は本書の「おわりに」において、秀吉の親類たちについてはこれまで検討が行われておらず、本書によって全容を明らかにすることができたが、同時に新たな課題も見えてきたと述べている。本書を基礎として、羽柴氏の親類についての研究が進歩することを期待して、本稿を閉じる。

【参考文献】
河内将芳『大政所と北政所』(戎光祥出版、2022年)
黒田基樹『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版、2023年)
黒田基樹「新事実!! 播磨時代の秀吉に実子がいた」(『歴史研究』736号、2025年)
柴裕之『羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟』(KADOKAWA、2025年)
谷徹也『豊臣政権の統治構造』(名古屋大学出版会、2025年)
和田裕弘「豊臣秀吉の実子といわれる「石松丸」について」(『天下布武』28号、2016年)
和田裕弘『豊臣秀長 「天下人の賢弟」の実像』(中央公論新社、2025年)