KADOKAWA/2025年9月刊/四六判/240ページ/2024円/ISBN:9784047037403

はじめに

羽柴秀長は、いうまでもなく天下人・羽柴秀吉の弟であり、その血縁関係から豊臣政権の天下一統事業において重要な役割を果たしていた。しかし、秀長は豊臣政権が天下一統を果たした翌年にあたる天正19年(1591)に死去したため、統一政権としての豊臣政権にはまったく影響を与えていない。そのため、秀長の研究は豊臣政権研究のなかでも遅れがちであった。

ところが、このように実像がほとんど明らかになっていなかった秀長が、なんと2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公に抜擢されることになる。そして、本書の著者である柴裕之氏が、黒田基樹氏とともに時代考証に選ばれたのである。

基本的に、歴史学を研究する際に重要になってくるのが、先行研究のまとめと一次史料の分析である。柴氏は、まず秀長に関する先行研究を『豊臣秀長』(戎光祥出版、2025年)にまとめた。さらに黒田氏とともに『羽柴秀長文書集』(東京堂出版、2025年)を刊行し、これによって秀長に関する一次史料が網羅されることになった。

こうした下準備を経て、柴氏自ら秀長の生涯を論じたのが、本書『羽柴秀長』である。当然、これまで検討されてこなかった史料などを含めて総合的に論じており、筆者としては秀長の評伝としては本書がもっとも有意義なものであると考えている。以下、目次を確認したい。

第一章 生い立ちと父母・きょうだい
第二章 織田信長と羽柴秀吉・長秀兄弟
第三章 本能寺の変後の政局と飛躍
第四章 豊臣政権の成立と秀長
第五章 秀長の妻と子
第六章 一門筆頭の執政として奔走
終 章 秀長の死去とその後

本書の特徴

本書は年代に沿って秀長の事績をまとめた書籍である。そのため各章の内容を紹介することはあえて避けたい。ここでは、本書を一読するなかで、とくに注目される2点ほど紹介していきたい。

まず、中身に入る前にタイトルの「羽柴秀長」についてである。本稿でも基本的に「羽柴秀長」としているが、一般的には「豊臣秀長」と呼称されることが多い。たとえば、「豊臣兄弟!」の公式ホームページをみてもそのように表記されている。

この点について、以前から柴氏・黒田氏らによって、「豊臣」は氏であり名字ではないことから「羽柴秀長」と呼称するべきであると主張されてきた。ゆまにすとのこれまでの記事でも、こうした主張に基づいて羽柴名字で記している。

ただし、この主張はあくまでも理論的な話であり、史料から実証されていたわけではなかった。しかし、秀長が死去する前年の天正18年10月吉日付けの羽柴秀長都状(奈良国立博物館所蔵文書。都状とは、寿命の延長を祈る際に記す祭文のこと)において、秀長自身が「羽柴大納言豊臣朝臣秀長」と記していることから、秀長の名字は生涯を通じて羽柴であったことが実証されたのである。

なお、これはあくまでも秀長個人の名字が羽柴だったことを示すのみであり、ほかの人物も羽柴であったかは確定できていない。したがって、とくに豊臣氏長者であった秀吉・秀次・秀頼の三人については現状でも羽柴名字の使用に批判的な研究者も存在する(谷2025など)。この点については、後日ゆまにすとでも筆者の見解を示す予定である。

次に、本書を一読するなかで興味深かったのが、小牧合戦に至る過程についての柴氏の理解についてである。この点は、秀長とは直接関係しないが、これまでの評価を一変させているため、あえて取り上げたい。

従来、秀吉の「天下統一」戦争は山崎の戦いを始点としており、その後の賤ヶ岳の戦い・小牧合戦は「下剋上」の戦いに位置づけられていた。しかし、近年では、とくに賤ヶ岳の戦いについては織田政権内の権力闘争という見方が強く、豊臣政権の始期は小牧合戦に置かれる理解が一般化してきている。

そのため、秀吉の「下剋上」史観も相対的に薄くなってきているのは事実であるが、それでも小牧合戦において主君である織田信雄と戦ったことは紛れもなく「下剋上」であることには変わりはない。とくに、小牧合戦直前に、秀吉は信雄を安土城(滋賀県近江八幡市。織田政権の政庁であった)から追い出して、今後天下の統治に関わらないように要請している。小牧合戦は、こうした秀吉の権力拡大に反発した信雄によって始められていたから、やはり秀吉の「下剋上」の意思を否定できないという見方も依然として残っていた。

けれども、本書において、秀吉が信雄を天下統治から外した理由が明快に記されている。信雄は織田政権内の対立の末、天正10年10月に三法師(織田氏当主)の名代として新たな天下人になった。しかし、信雄は自身の領国(尾張・伊勢・伊賀など)統治を優先しており、天下の政務やほかの織田大名の存立維持をほったらかしにしていたのである。

こうした状況に際して、代わりに天下統治の実務を担ったのが羽柴秀吉であった。そのため、丹羽長秀・池田恒興ら織田家の宿老は次第に信雄ではなく秀吉に対して天下人としての役割を期待していくことになる。その結果、秀吉は信雄を天下統治から外したのである。

そもそも、領主が領内の村落や従属しているほかの領主の村立を維持する義務を負っていたのは、織田政権に限った話ではなく、戦国大名についても同様のものである(黒田2023など)。したがって、結果的に秀吉は主君と戦い身分を逆転させるという「下剋上」をしているのは事実だが、それは秀吉自身の野望というようなものではなく、当時の社会の要請に基づいた選択と捉えられるだろう。

おわりに

ほかにも、本書には秀長の最新研究に関するさまざまな知見が示されている。ただし、本書はあくまでも秀長の生涯を追ったものであり、論点を提示した記述はあまり多くない。これらについては、著者の柴氏をはじめ、豊臣期の研究者が別で書籍を刊行するものと思われる(すでに実際に刊行されているもの、あるいは刊行予定が公表されているものも存在する)。したがって、それぞれの論点についてはそれらの書籍を手に取っていただきたい。

それでは、秀長の生涯を追った本書の使い道はどのように見出せるだろうか。すでに、『豊臣兄弟!』の放送が始まっている。当然、あくまでもドラマであるから、必ずしも最新研究が反映されているわけではない描写もあるだろう。一方で、著者の柴氏が時代考証として制作に関わっていることから、柴氏の意見が反映されていることがうかがわれる描写も、またあるかもしれない。

本書は、そうしたドラマでの描写と、史実の秀長の生き様を比較するうえで、最適な書籍といえるだろう。本書を片手に、ドラマの描写に反映されている部分、逆にドラマの描写とは異なる部分を見出していけたら、より『豊臣兄弟!』を楽しめるに違いない。『豊臣兄弟!』の完走と、豊臣研究のさらなる発展を祈って、擱筆としたい。

【参考文献】
谷徹也『豊臣政権の統治構造』(名古屋大学出版会、2025年)
黒田基樹『増補 戦国大名 政策・統治・戦争』(平凡社、2023年)