高槻市立しろあと歴史館では、10月18日から12月14日にかけて特別展「戦国動乱の畿内―足利将軍家と細川京兆家の分裂―」が開催された。
畿内戦国史のさまざまな登場人物に関する展示となっており、畿内戦国史に関心がある人であれば確実に興味を持つような内容である。古文書も貴重なものが多く、見応えがあった。それと同時に私が感心したのは、その展示方法である。歴史に興味がある人にとって見応えがあるのはもちろんであるが、それとともに、普段あまり関心がない人に対しても興味を引かせる工夫が随所に凝らされていた。
たとえば、歴代足利将軍の紹介がメインの目的と思われる肖像画の展示では、足利義晴の絵が死の前日の義晴と対面して書かれたものである可能性が高いことや、足利義輝の肖像については紙形による肖像画の書き方の仕組み(顔以外の部分を依頼者のリクエストによって書き換えることが可能)であったことが、わかりやすく説明されている。このように、畿内戦国史にもともと興味がある人にも、さほど興味がない人にも関心を引かせる仕掛けがあった。
展示内容と展示の工夫、どちらも興味を引くものであったので、以下その両方を紹介していきたい。
館内に入るとすぐ目につくのが、畿内戦国史の始まりである応仁・文明の乱の錦絵(『応仁記 山名細川確執之図』)である。この錦絵は、戦国の始まりとされる応仁・文明の乱の中心人物、山名宗全と細川勝元の人物紹介であると同時に、中央に戦国の終わりを象徴する柴田勝家と羽柴秀吉が描かれている絵でもある。そして、江戸時代に天正年間以降の武者を描くことが禁止されていたため、応仁の乱の絵に仮託されていた、という事情が紹介されている。絵の美しさもさることながら、情報価値の高さを感じた。
さて、この展示は第1室と第2室に分かれている。そして、第1室から第2室前半にかけては、どちらかというと初心者でも興味を引くような展示、第2室後半には文書を中心とした展示が集まっている、という印象を受けた。第1室には、先ほど紹介した応仁・文明の乱の錦絵や、すぐに確認できる足利将軍家などの系図、そして伊勢貞宗制作の鞍などがあり、華やかである。その中で一番興味を引かれたのは、足利義尚や義澄に関連する展示であった。
現在でも、一般的には、応仁・文明の乱のきっかけが足利義尚の誕生にあると説明されることが多い印象がある。足利義尚・義澄のコーナーは、義尚の誕生の記録(『松田丹後守平長秀記』。前期後期で巻替)から始まる。これを見て、かつてのように応仁・文明の乱のきっかけとなった出来事だと思っても良いし、そう思わない人にとっても将軍の誕生に誕生奉行がついていることや生まれた場所の記録があることなどは興味深く、学びを得られるようになっている。
このコーナーは、後土御門天皇の口宣(くぜん)へと続く。ここでは除服出仕の説明がされていた。除服出仕とは、喪に服した後に出仕をすることである。まず義尚の娘の死にともなう除服出仕の口宣で除服出仕そのものの説明をした後に、足利義高(のちの義澄)の除服出仕の口宣に続く。こちらは養母である日野富子の死にともなうもので、征夷大将軍に復任するための宣下であった。
除服出仕という言葉に興味を持たせたうえで、さり気なく重要人物である日野富子の死や、日野富子と義澄の関係、天皇と将軍の関係などへ興味を向かせる構成は、非常に練られていると感じた。
第2室では「戦国動乱の畿内」というタイトルにふさわしく、動乱の畿内のさまざまな人物に関する展示がなされている。文書が中心で、畿内の戦国史に深く興味を持つ人々にとって興味深い文書などが数々展示されている。細川家の分裂の中心人物たちと、それにともって台頭する三好宗家の人々や柳本賢治などに関するものが数多く展示されており、読み応えがあった。
また、地元の方向けに、富田御坊(本照寺。当時は光照寺)に関する展示や、富田御所(普門寺。いずれも大阪府高槻市)に関する展示も、それぞれミニコーナーとして設けられていた。私はこの展示に行く前に富田御坊や富田御所を回っていたので、とても臨場感を感じることができた。この展示を見る方で、高槻城(高槻市)以外にもう一箇所軽く見たいという方にはおすすめである。
第2室の展示は、和田惟政宛の松平家康・前波吉継・覚慶(のちの足利義昭)の書状、そして足利義昭の書状で終わる。覚慶が各地に上洛を要請し、足利義昭となり、織田信長の登場を予感させて戦国動乱の畿内という展示は終わるのである。
ミニコーナーを除き、ほぼ時系列順に配置され、動乱の畿内の登場人物も網羅した、すばらしい展示であった。



