吉川弘文館/2025年4月刊/四六判/304ページ/2200円/ISBN:9784642306188

東シナ海の中央に位置する琉球王国は、日本や明をはじめ、東南アジア(南海)諸国との貿易を通じて繁栄を極めた。琉球王国の貿易の研究は、『歴代宝案』という外交文書が多く収集されている史料群が中心となる。そのほか、東アジア諸国との交易に関する史料としては、『明実録』をはじめとして複数あげられるが、南海諸国と琉球の交易に関する史料は非常に限られている。

本書では、スペイン人・ポルトガル人などの、ヨーロッパの史料にも目を配ることで、史料の少なさをカバーしながら琉球の南海貿易の実像に迫った1冊といえる。 目次は以下のとおりである。

「海の沖縄人」の発見―プロローグ
海洋王国の船出
南海貿易の発展
王朝交替と海外貿易
尚真王期の南海貿易
ヨーロッパ人との出会い
南海貿易の変容と終焉
「万国の津梁」の二〇〇年―エピローグ

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「海洋王国の船出」では、まず東シナ海の中央に位置する南西諸島に成立した初期の王権・グスク時代について中国沿岸部との交易という視点から描いている。琉球で「三山」時代に突入した時期に、東アジアでは明の成立によって新たな秩序が形成されようとしていた。とくに、海禁政策の影響は琉球の交易に多大な影響を与え、明との朝貢貿易が始まった。これにより、琉球は明を中心とする国際秩序に加わることとなった。 琉球の対外政策を担った存在として、華人の説明を欠かすことはできない。久米村(沖縄県那覇市)の華人コミュニティは明との通交に重要な役割を果たしていた。 

「南海貿易の発展」では、14~15世紀の東アジアの状況を中心に、琉球がどのような関係を構築していたのかについてまとめられている。東南アジアでは14世紀に発生した気候変動により従来の勢力が衰退し、タイ人が勢力を拡大する状況にあった。 また、明の海禁政策を契機に華人が東南アジアに進出し、各地の華人コミュニティを形成した。福建の海商もこの動きに乗じて活動範囲を広げていった。さらに、鄭和が1405年から複数回に渡り南海遠征を行い、南海諸国に明への朝貢を促した。このように、14世紀から15世紀にかけての時期は、琉球のみならず、東南アジアでも新たな秩序が形成されていった。

那覇でアユタヤの陶磁器が見つかるなど、琉球はアユタヤと活発な貿易を行っていた一方で、貿易摩擦も発生した。この貿易摩擦の発生を契機として交易相手の多様化が進み、パレンバンやジャワなど東南アジア島嶼部との交易が活発化した。パレンバンは日本に「南蛮船」を度々派遣するなど、琉球・日本と密接な交流を持っていた。 

「王朝交替と海外貿易」では、琉球王国の首府であり、交易の中心地となっている那覇の発展の様相と、琉球の国内情勢が交易活動に与えた影響について論じている。琉球国内の情勢として、王位をめぐって内乱が頻発し、政情が不安定となっていた。そのようななかで即位した尚泰久は、国内の動乱を平定し、多くの寺院を建立した。この尚泰久・尚徳の時期、日本や朝鮮との交易が活発化した。

その後、金丸(尚円王)の即位により、第二尚氏が成立するが、この王朝交替には、クーデターによる簒奪があったと指摘されている。博多商人と繋がりを持っていいた尚泰久・泰徳から、博多商人と距離のあった尚円の即位は、琉球の交易政策に影響を与えていたことから、琉球の王権は交易と結びついていたと見ることができる。 

「尚真王期の南海貿易」は、琉球が中継貿易でもっとも繁栄した尚真の時代についての内容である。この時代、琉球の貿易形態は変容の兆しを見せる。明が朝貢回数に制限を設けて以降、琉球は明との交易は縮小した。しかし、堺商人や博多商人を通じて日本や朝鮮との貿易を拡大させ、中継貿易を行うことで貿易の利益を維持した。尚真は、その治世を通じて官制を整備し中央集権化に努めた。こうした事業を可能にしたのは、貿易による利益だったと著者は推測している。 

同時期、琉球はマラッカとの交易が進展した。マラッカは琉球と同様に港市国家として発展した国であり、『歴代宝案』に記録されている以上に頻繁な交易が行われており、この時期、もっとも重要な貿易相手国であったといえる。 

東南アジア各国と盛んに交易していた琉球であるが、現在のベトナムにあたる安南とチャンパとの交易の記録はほとんどなく、『歴代宝案』に安南との通交文書が収められているのみである。また、ベトナムの記録には、1475年にベトナムと琉球船が武力衝突したことが記されている。琉球船はこのとき、黎朝ベトナムの支配下にあったチャンパの遺民とともにいたことから、国書を介してはいないものの、琉球とチャンパは関わりを持っていたと著者は推測する。また、琉球にはベトナムの陶磁が出土していることから、琉球が南海諸国への往復の途中でベトナムの港湾に寄港した際に交易を行い、ベトナム陶磁の調達などを行っていた 。

「ヨーロッパ人との出会い」では、尚真の治世と同時期にヨーロッパに到来した大航海時代と、琉球への影響が描かれている。東南アジア地域でも活発な交易活動を展開していた琉球は、同時期にインド洋を経て南シナ海・太平洋へと航海の活動範囲を拡大していったヨーロッパ人にも情報が伝わることとなる。琉球は、ポルトガル人の記録には「レキオス」として記され、ポルトガル人は琉球の交易活動に関心を抱いていた。ポルトガルによるマラッカ占領を契機として、南海貿易は転機を迎えるが、ポルトガルの史料によれば、琉球は、ルソン・ブルネイにまで貿易の規模を拡大させていた。 

「南海貿易の変容と終焉」では、16世紀後半の状況についてまとめられている。この時期、華人海商に加え、ポルトガルの密貿易参入や東南アジア諸国の情勢変化により、琉球による中継貿易は衰退しはじめていた。そのようななかでも、琉球は日本銀の流入によって一応の繁栄は見せていた。中国沿岸部から、日本銀を求めて、華人が密貿易を行うようになった。貿易の利益をめぐって華人同士が衝突することもあった。 

朝貢・海禁体制の解体に伴い、琉球の中継貿易の衰退が顕著になった。東南アジアでも、情勢の変化に伴い、アユタヤをはじめとした南海諸国と琉球との貿易も途絶した。 同じ時期、琉球に対する島津氏の圧力が強まり、1609年の島津氏の琉球侵攻により、琉球は薩摩藩の強い影響下に置かれることとなった。 

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この本は、琉球王国の情勢と、東シナ海を取り巻く国際情勢の双方の視点から、琉球の貿易がどのように展開されていったかを描き出している。著者は、東シナ海の中央に位置し、複数の海域の結節点として、様々な人種や階層、宗教が併存していた琉球の姿を強調する。本書は、随所に貿易ルートの地図や交易品のリストが掲載されており、視覚的にも琉球の交易の幅をわかりやすくしている。そして、琉球の成立や東アジア・東南アジア地域の動向に紙幅を割いており、一般の人にとっても背景を理解しやすい内容となっている。

従来の琉球について扱った本と比較すると、東南アジア地域との交流に焦点を置きながらも、日本や明、朝鮮など琉球と貿易関係にあった国々との関係を網羅的に検証している。さらに、16世紀に入り、大航海時代を迎えたスペイン・ポルトガル人と琉球の関わりに扱うことで、これまで東アジア海域で活躍していた琉球人、福建などの中国海商らに加えて、スペイン・ポルトガル人という新たな勢力が交易活動に参入していった東アジア海域世界の新たな様相を論じている。

著者は、『歴代宝案』といった琉球側の史料だけでは限られてくる琉球の南海貿易の諸相を、ヨーロッパの史料や琉球で出土した陶磁器などの考古資料を参考にすることで実像に迫ろうとしている。それにより、明との朝貢貿易の推移を中心に語られることの多かった琉球の多様な交易活動を論じるとともに、明の海禁政策により縮小していた東アジア海域のなかで、琉球の中継貿易が果たしていた役割の大きさをうかがい知ることができる。

明・日本との関係や東アジア海域という枠組みのなかで語られることの多かった琉球を、ヨーロッパ人の史料や東南アジア諸国との関係に比重を置いて論じることで、広い地域で交易活動を展開した琉球の姿を見ることができる。