最近、廃仏毀釈をめぐるSNS上でのいくつかの言説とそれに対する人文家の反論を見て、自分も思い付きだけは書き残しておかねばと思った次第である。私は美術制度史研究に強い影響を受けてきたこともあり、この手の話題に関してはどうしても口を挟みたくなってしまうのだ。

廃仏毀釈は、数多くの寺家を破壊し、その文化財を毀損した。無数の寺宝が流出し、数多の文書が失われた。寺領の喪失による困窮と合わせて、廃仏毀釈がなければ日本史研究はどれほどのことを明らかにできただろう。どれほどの作品を我々は鑑賞しえただろう。この喪失は人間の遺産に対する重大な破壊行為の1つに数えてよいだろう。

そして、日本美術史学はその喪失の上に立っている。国民国家にふさわしい、国民の「意象観念、渾化凝結して形相を成したるもの」(「国華」)を守護するために生まれたのが日本美術史学であったからだ。

佐藤道信によれば、文部省を中心に古美術保存のために進められた官製の美術史こそが日本美術史学の始まりであったという(佐藤1999)。

日本美術史学がその始まりを告げる鐘を鳴らしたのは『国華』第一号においてであったろう。上梓されたのは明治22年(1889)10月28日の事、古器旧物保存方の布告が明治4年にあって以来、18年もたってからの事である。ここに美術史論文を常時掲載する雑誌が誕生したのである。ここで鳴らされた鐘がどのようであったか概観してみよう。

『国華』第一号は、以下の7編と、無記名の「国華」「狩野正信」「無著菩薩像傳(附天親菩薩略傳)」「雑録」の4編を掲載している。
九鬼隆一「国華ノ発兌ニ就テ」
A.F.フェノロサ「浮世絵史考」
W.S.ビゲロー「日本工藝家ノ注意」
岡倉覚三「圓山応挙(附印譜)」
川崎千虎「本邦武装沿革考」
黒川真頼「東大寺正倉院ノ話(正倉院圖挿入)」
今泉雄作「茶室考(茶室圖挿入)」

巻頭に無記名で載せられた「国華」は雑誌『国華』の目的と岡倉覚三周囲の思想を凝縮した文章である。「夫レ美術ハ國ノ精華ナリ」と始まるこの文章は、誕生しつつあった日本「美術」と文化財保護を推し進めることを唱えるものだ。筆者は明治維新から続いてきた美術品の流出と建造物の喪失について「小人利を視て寶を忘れ之を雲濤萬利の西に抛擲し」「祝融炎威を逞くし舊院古刹相尋て焦土に帰し所蔵の妙品多く灰滅烟散し」つつあるとその状況を伝えている。目の前で零れ落ちゆく文化財を前に「誰か其惨状を見るに忍ひんや」とその筆は強い焦燥感を滲ませ、文化財保護はまだ方法を尽くせていないと述べる。そして、末段で「国華は国民をして自國の美術を守護するの必要を唱道して止まさらんとす」と述べるのである。

続くフェノロサの「浮世絵史考」は日本における美術史学宣言とでもいうべきものでなかろうか。日本の美術評論では、その主題・技術を基に流派を区分し、その流派の特徴について優品もそうでないものも区別なく述べるような分類が行われていた。このような、いささかも美術の本性に根ざしていない分類法は歴史的・論理的に価値がない。「美術の発達を尋ねその進歩の事績を極めんとする物のためには」このような文学上・実業上の分類法を捨て、「同期相関の所作品を一所に萬集し以てその間に必存する一斉なる美術的調律を知了」するべきであると。これはある種の様式論をもって日本美術史を構築すべきという大きな意思表明であった。ヨーロッパにおいて、美術史学が新展開を見せつつあった19世紀末という時期に、列伝的な美術史叙述を批判し様式論を志向する論説が日本語で発表されたのはきわめて重要なことであったといえる。

また、第一号の陣容は明治22年当時の美術史学が端的に表れている。A.F.フェノロサは古社寺調査の中心人物であった。岡倉覚三は東京美術学校において日本美術史叙述の基礎を築いた。川崎千虎は歴史画を能くした画家である。黒川真頼は万国博覧会に際して博物局のもと『工芸志料』を執筆した国学者、今泉雄作はギメ美術館に務めた古物学者・東洋学者であった。

西洋の美術館で日本美術コレクションの形成に関わった岡倉覚三と今泉雄作、自らのコレクションをボストンに持ち帰ったフェノロサ、近世以来の伝統に位置付けられる黒川真頼と川崎千虎という構成は、近代的学問としての日本美術史が誕生したこの時期を特徴づけるものだ。さらに言うならば一足先に輸出工芸保護の中から始まった工芸史研究が、文部省を中心とした文化財保護を目的とする美術史研究に取り込まれたようすを示す。

そして、彼らは始まったばかりの東京美術学校で美術史に関連する講義の教鞭をとったのである。ここから日本における文化財保護は一段と進展していく。この後、古社寺保存法の制定、東京帝国大学美学美術史学第二講座の開講、美術研究所の設置が続く。

このようにして、廃仏毀釈のその後に生まれたのが文化財保護に始まった学問「日本美術史学」であった。我々は文化財の毀損に対抗した先人の尽力を忘れるべきではない。彼らの尽力なくしては、現在ある文化財も失われていたかもしれない。

文化財を守ろうという声はきっと簡単に忘れられてしまうだろうから、美術史学徒は市民が文化財を保護する必要があると唱道して止まることはないのである。

【参考文献】
「国華」『国華』第一号(1989,国華社)
佐藤道信『明治国家と近代美術―美の政治学』(吉川弘文館,1999)